4138.2018年9月11日(火) ニューヨーク同時多発テロから17年

 巡りめぐって今年もあの忌まわしいニューヨーク同時多発テロ発生の日がやってきた。犯人とされたテロリスト、タリバンは壊滅作戦により一時勢力が衰えたが、今もアフガニスタンを根拠に衰えぬ力を示している。

 この日義母の葬儀のため、桐ケ谷斎場の待合室で待機していたところ、航空機がビルに突っ込んだあの衝撃的なシーンをテレビで観て一瞬度肝を抜かれた。

 ついては、今自分自身の若いころの海外武者修行体験を以前の拙作とは別の角度から改めてドキュメントとして取り組んでいるが、その中でメディア批判にかなりスペースを割いている。中でもこの事件のちょうど1カ月後の2001年10月11日付朝日新聞「新聞週間特集号」は全2頁に亘ってこの事件を取り上げていたが、「現場へ 世界各地 記者は走った」と題して、当時ニューヨーク、カトマンズ、マニラにいた海外特派員に後追い取材へ向かわせた。事前に取材、調査するならまだしも、事件の後になって記事の後追い取材をする無定見に呆れたものだ。日頃よりあまり現場に足を踏み込まないジャーナリストが、言い訳でもするように現場取材を行ったポーズを取っているに過ぎなかった。内容的にもイマイチだったし、こういうメディアの感覚が少しおかしいと思い、この辺りも拙稿の中に取り上げてメディアの在り方を厳しく追及しようと思っている。

 中でも宇佐波雄策記者の例では、アガニスタン人が多いパキスタンのペシャワール市場で取材したとあるが、ペシャワールからアフガニスタン国境カイバル峠に向かったという記述が見られない。私自身その1年前にカイバル峠を訪れパキスタン最西端の集落で怪しげな取引を目撃して、テロにつながる予感のようなものを感じたものである。カイバル峠へのアクセスは外国人には厳しく規制され、テロ発生時には近づけなかった筈だ。カイバル峠を越えれば、タリバンの巣窟がある。だが、記者はカイバル峠へも近づいていない、しかもテロ以前ではなく、以後にも行っていない。この辺りに今日のメディアの取材に限界を見る。

 ともかくあのテロから早くも17年が過ぎ去った。何とか早めにドキュメントを仕上げたいと考えている。

2018年9月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com