4129.2018年9月2日(日) 「プラハの春」小論を脱稿

 台風21号が3日後に東海地方を中心に襲来するせいか、昨晩から雨模様で今日も時々雨が降るので比較的涼しく感じられる。お陰で庭の樹木に放水する必要がない。それにしても今週はほとんど雨の予報である。

 先日来書いていた「プラハの春」について漸く書き終えた。写真を入れて12頁に納めた。この8月であの事件発生以来ちょうど50年・半世紀になる。事件自体と自分自身が関わったことや、プラハへ行った時の事件を思い出させる出来事について書いた。これまで度々外国へ出かけているが、その中でも格別印象に残っているのがこのチェコの首都プラハである。

 ちょうど「プラハの春」が発生した1968年、プラハに留学を、出来れば名門カレル大学へ留学しようと計画していたところ、あのような国家、社会体制を崩壊させるような乱暴なワルシャワ軍戦車部隊の侵入により、先の予測が出来ないような事態になってしまった。すでに課長に辞職願を提出してしまったので、判断が難しかった。家族にも、友人の誰にも話していなかった。ゼミの恩師・飯田鼎教授に相談したところ説得されて辞表の撤回を申し出る一世一代の屈辱的なことをやってしまった。今思えば、人生の岐路となった。

 あれからチェコには、4度訪れているが、そのうち3度もトラブルに遭っている。なぜかチェコと特別な因縁があるように思えて仕方がない。そんなこともあり、思い込みも特別である。プラハの中心街にある、「プラハの春」の舞台となったヴァーツラフ広場と隣接する旧市庁舎前広場の近くにあるカレル橋とそこから眺めるプラハ城の光景は文句のつけようがないほど素晴らしい。拙稿でも触れたが、中世以来の伝統的な街づくりを市民は誇りに思い、傷つけられることを許さなかった。あの街の風景にはチェコの人々同様に心を癒される。それが「プラハの春」、或いは他の事件でも市内で内戦や銃撃戦を避けられた理由である。

 偶然とは言え、今夕NHK「クラシック音楽館」で、1980年代の演奏録画だったが、スメタナの交響詩「わが祖国」を映し出したことに驚いた。好きなクラシック音楽のひとつである。拙稿にも「ビロード革命」直後の音楽祭でハヴェル大統領の呼びかけにより亡命中の指揮者クーベリックが帰国して、ヴァーツラフ広場で「わが祖国」を演奏し、世界中に感動を与えたエピソードを取り上げた。

 世界遺産都市「プラハ」にせよ、名曲「わが祖国」にせよ、「プラハの春」に翻弄された立場から見ても抜きん出た芸術品である。

2018年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com