4091.2018年7月26日(木) オウム事件死刑囚処刑と戦犯処刑

 オウム真理教の死刑確定者のうち、今月6日に主犯の麻原彰晃こと松本智津夫以下7人が処刑されたが、今日残る6名が各地の拘置所で処刑された。それにしてもいつも決断が遅い政府としては、随分迅速な行動だった。1カ月の間に13人もの死刑囚を処刑したのは初めてのことである。この他にも元幹部・村井秀夫が移送中に暴力団風の男に刃物で殺害されたが、もし生きていれば、当然死刑囚になり処刑されたであろう。処刑を決断した上川陽子法務大臣は後世にその名を遺すことになるだろう。いかに残虐な殺人を犯した死刑囚とは言え、処刑は国家が国民の生命を奪う行為であり、あまりいい気分にはなれない。これは元号平成が今年が最後ということもあり、平成時代に起きた事件は平成の内にけりを付けてしまおうとのやや拙速な意図がある。

 とにかく一連のオウム事件は考えられないほど非業な行為であったが、これですべて決着がついたわけではない。いつまた似たような凶悪犯が再び現れないとも限らない。文明が発展すれば、その発展の軌道から外れる人物が出てくることは当然考えられる。それをどう未然に食い止めることが出来るか、人間社会に突き付けられた重い課題である。

 これほど多数の死刑囚が処刑されたことに、つい終戦直後のA級戦犯の処刑を思い出してしまう。オウム事件の死刑囚は本人がどう言い逃れをしようと全員に重い責任があることは紛れもない。だが、戦犯のケースでは必ずしもそれぞれの戦犯に同じ死刑の刑罰が課せられて平等な処分と言えるか、疑問が残されている。文官だった広田弘毅首相が、果たして東条英樹と同様に死刑となったことに今もって疑問が呈せられている。

 同時に無謀な作戦で多くの犠牲者を生んだインパール作戦の失敗は、明らかに主犯ともいえる第18軍司令官・牟田口廉也中将のように巧妙に戦犯としての罪を逃れ、戦後は蟄居しながらも自らは無罪と称し、晩年には部下の無能ぶりを公言するなど身勝手で往生際の悪さは天下一品だった。ビルマに慰霊団とともに何度もお供したが、元兵士の方々は申し合わせたように、牟田口司令官をぼろくそにこき下ろしていた。牟田口司令官が戦犯として罪を逃れることが出来た原因は、巧みな弁舌と他人を出し抜くずる賢さだろう。

 もうわが残り少ない人生において、戦争はもちろん、同じような残虐な事件は引き起こしてもらいたくないものである。

 今日ひとつ嬉しいことがあった。今年100回目を迎える夏の全国高校野球大会京都府予選決勝で中学時代に在籍したことがある平安中学の付属校、竜谷大平安高校が勝って4年ぶり、34回目の甲子園出場を決めたことである。過去に3回の全国優勝と同じく準優勝3回の実績がある野球名門校である。昭和31年の大会では、われわれの同級生が全国優勝を成し遂げた。今年は精いっぱい応援し、4回目の全国優勝を決めてもらいたいと強く願っている。

2018年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com