朝っぱらから電撃的なニュースを聞いて驚いた。今朝オウム真理教事件の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫を含む7人の死刑囚がそれぞれ収容されていた拘置所で処刑されたのである。そろそろそうなるのではないかと思っていたが、1度に7人も処刑するとはこれまで聞いたことがない。
一連のオウム真理教の事件の中でも、3大事件と言われるのは、①1989年坂本弁護士一家3人殺害事件、②1994年松本サリン事件、③1995年地下鉄サリン事件である。このほかすべての事件を合わせて死者29人、負傷者は6,000名を超え、日本犯罪史上最悪な凶悪事件とされている。いずれも想像も出来ないような異様な事件だった。今年1月漸くオウム事件の裁判は終結した。
オウム事件には、日常あまり目にしない異常な現象がたくさんあった。いくつか思い出すこともある。30年以上も昔オウム真理教本部が代々木駅近くにあったころ会社からの帰途夕方になると国鉄代々木駅前で10人ぐらいの信者が、手に団扇を持ち突飛な衣装を羽織り、口々に「ショーコー、ショーコー、麻原彰晃~」とおまじないのような言葉を繰り返して踊っていたのをしばしば見たことがある。
もうひとつは、知り合いのジャーナリストの信州大学生だったご子息が、松本サリン事件で犠牲になった悲しい話である。
戦争やアパルトヘイトなどで多くの犠牲者が出ることは、とても許せないことであるにせよ、何となく分からないこともない。だが、平和な時代に一般社会で民間人が他人を意味もなく大量殺りくしようとするのは遥かに想像を超えている。とても許されることではない。しかし、それをやってのけたのが、麻原彰晃だった。犠牲者の遺族は、複雑な心境ながら当然の報いと思っている。国民のほとんども同感だと思う。
今後公安が心配するのは、罪を逃れた元オウム信者、及び現在も別の形で活動している元幹部らと、その後アレフを結成、現在「ひかりの輪」代表・上祐史浩らの行動である。彼らが麻原らとは異なった形で見境のない暴虐行為を行うことがないだろうかである。
さて、今日の駒澤大学講座で、山田岳講師(共同通信社)が、いつも通りたくさんの資料を配布されて講義された。
先週ちょっとお尋ねした「句読点」について講義してくれた。句読点が文章内に使用されるようになったのは、明治20年代になってからだという。昔の文章には句読点がまったく使われていなかった。新聞でも句読点が全面使用され出したのは、1950年7月だとはとても考えられなかった。随分参考になった。
その他昭和11年の3大事件のひとつ、猟奇的な「阿部定」事件について話された。中々興味深い内容だったが、当時の新聞紙面には現在記事を書く基本として教え込まれる5W1Hや逆三角形構想が見られず、逆に興味本位で自由にドキュメンタリー風に書かれていることだった。読者にとっては肝心なことさえ失念していなければ大いに興味をそそったことだろう。阿部定に名古屋から同行してきたのが、何と当時の中京商業校長だったというのもどっきりさせる。阿部定の弁護人は、高校ラグビー部後輩で、竹内謙元鎌倉市長の祖父・竹内金太郎氏だった。竹内弁護士のおかげであのような猟奇事件を起こした阿部定だったが、6年の実刑(10年の求刑)で済んだ。結局刑期前に紀元2600年の恩赦により保釈された。同時に竹内弁護士はゾルゲ事件の尾崎秀実の弁護人も務めた。
1時間半に亘って中々盛り上がった講義となった。
ところで台風7号の影響でここ数日九州方面から日本海、北海道方面の天候が荒れていたが、今日は福岡県、佐賀県、長崎県の北九州に加えて、広島県、岡山県、鳥取県に大雨警戒警報が出された。夜になってテレビではしきりに警戒を住民に促している。神戸の土砂崩壊の様子、京都嵐山の渡月橋周辺の増水ぶりを映し出している。50年に1度の大雨になると脅迫的に警戒するよう求めている。