4061.2018年6月26日(火) 小笠原諸島返還50周年記念

 今日は小笠原諸島がアメリカから施政権を返還されて丁度半世紀になる。現在小笠原は東京都に帰属して世界自然遺産にも登録されている。アメリカ領だった期間中は小笠原村では学校の授業が英語で行われ、生徒たちは家族とは日本語、学校では英語を話すバイリンガル環境だった。

 今朝もテレビで放送していたが、小笠原は東京都下とは言え、東京の中心部から海を隔てて1,000㎞も離れ、月1度の定期船の往来では生活物資などの物流面で不自由さを感じている。しかも片道24時間もかかるのがネックになっている。特に救急患者が発生した時の患者輸送手段に限界があり、島としては航空路線の開設を希望しているが、自然保護と環境汚染の面から空港建設は問題が多いとされ、実現は前途多難のようだ。

 振り返って1952年日本が漸く占領支配から解放されたサンフランシスコ平和条約締結、72年の沖縄返還、などに比べれば小笠原返還はやや地味な印象ではあった。しかし、自然ばかりが強調される小笠原諸島の中には、住民が1人もおらず、戦時中激しい戦斗により日本兵2万人以上が亡くなった「硫黄島」があることを忘れてはならない。現在海上自衛隊が管理しているその「硫黄島」には、日米防衛上の機密から旧島民ですらこの生まれ育った懐かしい故郷へ再訪することを許されていない。

 外国人から、日本人は人に優しいと言われ、礼儀正しく秩序を守る民族と評価されるが、それでは私たち日本人は、同じ日本人である戦争の惨禍を受けた沖縄や小笠原の人びとの気持ちを充分斟酌しているだろうかと考えると首を傾げざるを得ない。国は戦時中上陸する米軍の盾となって犠牲となった島民や、疎開させた島民にもっと温かい対応を行うべきではないだろうか。

 さて、今日の午後近くにお住いの小中陽太郎さんのお宅へお邪魔して健康状態のお加減を伺ってきた。このところ日本ペンクラブ理事会、例会にも出席されず、ひと頃は各種会合に出席の後2次会にも積極的に出られていたにも拘わらず、最近は欠席続きだったので、ペンの仲間が心配し、隣組の私が様子を伺ってくるよう仲間から申しつかっていた。

 お見かけしたところいつもと変わらず、お元気でいろいろ話し込んできた。ペンの現状について話し合ったが、ほぼ同意見だった。他に奥様を交えて話し合った時、奥様と意外に接点があるのに驚いた。父の上司の娘さんと奥様が友人で学生時代に私の鵠沼の実家近くに下宿されていたことや、その友人の娘さんが私の高校、大学の後輩であること、また彼女が私の高校同級生の兄である岡崎元神奈川県知事と結婚されたことなど、あまりにも偶然が重なったことである。

 とにかくお元気であることを確認出来たことがなによりだった。

2018年6月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com