4030.2018年5月26日(土) 最後の幕張小学校クラス会

 母校千葉市立幕張小学校のクラスメートと毎年開いていた恩師の名を冠にした懇親会「和会」もついに今日最終回を迎えることになった。出席者は11名だった。恩師・湯浅和先生は素晴らしい方だった。教室内の授業ばかりでなく、課外活動や生活面でも全身で小学生に教えてくれた先生だった。校長室内に掲額された「温故知新」という故事について、小学生にも分かるように解説してくれたことが昨日のように思い出されてくる。卒業後も個人的にもご指導いただき、学生時代には何度かご一緒に歌舞伎を観劇に行ったこともある。この「和会」も最近では幹事のアイデイアで年2回場所を変えて行ってきた。しかし、今年ほとんどの友が傘寿を迎える年齢となり、そこへ長年幹事役を務めてくれた高橋繁くんが健康上の理由からこれ以上続けられないということから、名残惜しいが今日を最後とすることになった。寂しいことだが、年齢を考えればある面で止むを得ないと思う。

 思えば、昭和24年秋房州の勝山小学校から転入して1年半後に卒業し、更に1年後には再び父の転勤により京都に転居したので、幕張生活は僅か3年だった。東京に近い割には、どことなく垢ぬけず田舎臭パッとしない町だったが、今では京葉工業地帯を飛び越えて首都圏のメガロポリスとして発展し、ほど遠くないところにプロ野球ロッテ・マリーンズのグランドが出来たり、東京デイズニ―ランドが開設されたりして、私が住んでいた頃に比べれば大きく様変わりした。10年余り前にそんな郷愁を「心のふるさと-変貌する思い出の町・幕張」と題してNPO誌上にエッセイを書いた。

 私の思い込みと惜別の気持ちを込めて、不躾に旅行「鎌倉ぶらり」案を皆に呼びかけた。鎌倉は転入直後に遠足で出かけたところであり、また観光都市でもあり散策する場所に事欠かない。何度も訪れ地理はよく知っているので、少々強引だったが、日時まで一方的に決めてそれに合わせてくれるようお願いした。旅行日時は69年前の遠足の日、11月19日(月)に決めた。近藤流儀のやり方で、日時を決め、列車も決め、乗り込む車輛まで指定して、その日、その時、それに合わせてもらえれば鎌倉名所を歩いて、或いは江ノ電に乗り案内しますという一方的だが、現地では自由な旅スタイルである。「和会」では初めてのやり方であるが、同級生には果たして馴染んでもらえるかな。

 今日は最後ということもあり、ほんの感謝の気持ちから拙著「新・現代海外武者修行のすすめ」に署名して全員に1冊ずつ、前記のエッセイ・コピーとともに差し上げた。先月出版社から処分前に引き取らせてもらったノンフィクションである。数年前に同級生椎名研二くんが亡くなったが、彼の実弟・椎名誠氏から過分なお褒めの言葉をいただいたものでもあり、椎名くんを想い出してもらうためにも良いのではないかと考えた。

 いつまでも思い出は尽きないが、年齢を重ねればいずれ別れる時がやって来るそれでも元気でいられる間は思い出を活かして何か考えてみる必要はある。5年後には母校は創立150周年を迎える。「鎌倉ぶらり」が終わったら、あまり手間のかからない程度なら、長寿に張り合いを持たせるためにも、またどこか旅行を計画することも良いとは思っている。

2018年5月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com