今月26日に千葉市立幕張小学校最後のクラス会「和会」開催との案内状を幹事の高橋繁くんから受け取った。母校は今年創立147年目になる伝統校で、作曲家山田耕筰も一時在学していた。私は5年生2学期に房州の勝山小から転入した。文面では幹事の健康上の理由から今回を最後にすると書かれてあったが、今年傘寿を迎える我々の年齢から考えれば、これも無理からぬことであり、これ以上彼だけに幹事役を押し付けるわけにはいかず、彼の気持ちを了解することにした。だが、中には、特に女性の間ではまだまだ続けたいとの気持ちが強いのではないかと感じた。
そこで差し出がましいが、今秋私が幹事役を買って鎌倉への「最後の」小旅行を企画しようと高橋幹事へ手紙を認めたところである。在学した小中高大のクラス会には、出来るだけ出席しているが、これで最後というのは何とも切ない。特に幕張小の場合は、ご健康を害して定年前に他界された担任教師湯浅和先生のお人柄と指導が、思い返してもとても人並みではないほど素晴らしい先生だった。加えてクラスメート同士お互いに仲が良く、多くの素晴らしい思い出を残すことが出来た。今では幕張近辺に居住している友は少ないようだが、子どもの頃の想い出は今も忘れられない。
恩師湯浅先生は、校外へ生徒を連れ出しては野外学習をよくされた。相撲の決まり手である「押し出し」と「寄り切り」の違いを実践して教えてくれたこともある。俳句を学んだのも学校の外だった。私の6年生時の俳句に「コスモスが 揺れて見つかる かくれんぼ」というのがある。これを先生は随分褒めて下さった。学生時代に一緒に歌舞伎観劇に行ったこともある。葬儀にも出席した。カリキュラム学習以外の大切なことを実践的に随分教えていただいたように思う。
今以って忘れられない言葉に「温故知新」がある。当時校長室に掲額されていた言葉で、その意味を卒業前に噛んで言い含めるように教えていただいた。生涯忘れられない言葉である。先生のお名前「湯浅和」から一文字いただいて「和会」と呼んでいるが、卒業してすでに67年になる。鎌倉の旅は別にして、最後の和会で先生への感謝の気持ちを胸に、思い切ってクラスメートと楽しく話し合って別れたいと思っている。今から楽しみにしている。
さて、東南アジアの中でも比較的経済的に恵まれ、治安も安定していると見られていたマレーシアが、ちょっと揺れているらしい。一時華々しいアジアの経済発展を手本にするが如き‘LOOK EAST’という合言葉があったが、その時マハティール首相は‘LOOK JAPAN’と言ったくらい当時のマ首相は日本を手本にしていた。そのマハティール首相が政権の座から去って15年になる。現在のナジブ首相は、そのマ首相から政権を引き継いだ。その後政界を引退していたマ首相だったが、近年の経済停滞に不安を持つ国民から復帰を求められ、最近野党連合の党首として与党ナジブ首相の対抗馬として来る9日の総選挙に名乗りを上げた。強烈な指導力で経済成長を実現した今年92歳のマハティール氏ではあるが、必ずしもすべての面で評判が芳しかったわけではない。2003年まで22年間も首相の座にあって強権的な政治手法により汚職の噂も絶えなかった。
果たして来る総選挙の結果、果たしてマハティール元首相に勝利の女神は微笑むだろうか。