この数日2台のパソコンの不具合からITコンサルタントの小糸氏に何度か自宅へ来てもらい、見てもらっているが、今日もわざわざ来てくれて漸く問題は解決した。今ブログを書いているPCはノートPCを使用している。幸い何とかブログも書けるようになった。デスクトップPCも何とか使えるので、少し余裕が出てきた。
小糸氏と最近のIT事情について話していて、やはり近年のPCメーカーとソフトウエア業者のずる賢い腹の内とビジネスモデルには、お互いにちょっと閉口気味である。少々如何かと思うことがある。他のIT機種にも言えることだが、PCについて言えば、製品を販売した後のフォローが充分でないし、幾分売りっ放しとの印象があるのは避けられない。一旦販売したら後はどうぞ自由に修理を自分で考えて下さいと言っているように思えてならない。
最近は講師の機会が減ったが、実際このことは講義の都度必ず使用するパワーポイントのプロジェクターについても言える。今所有している某社の製品は、解説書にはある時期をメドに製品の製造を中止するので、以降修理は受けられないと書いてある。それは買ってから気が付いたことである。この製品については特に不便を感じているわけではないが、以前に使用方法について問い合わせたところ製品製造を中止したので、製品の内容についての質問には応えられないとの回答だった。まったく責任感がないうえに、消費者を愚弄するような対応だった。
私がこれまでに所有したPCにしても基本ソフトはすべて‘Windows’が入っている。しかもこれは‘Windows ME’、‘Windows XP’、‘Windows 10’、そして‘Windows 16’と段階的にステップアップさせてきた。しかし、使わなくなった古いソフトは捨てるようなものである。つまりMicrosoftは儲けさえ上がれば、顧客を切り捨てても我関せずという風に受け取れる。昔の日本商人のビジネスとは随分考えが違う。今まで使用していた備品を捨てても構わないという大きな心?を持ってパソコンの購入、使用を考えるべきなのだろうか。それにしても無駄が多いと思う。
世間では、車の自動運転とか、ロボットの活用などと機械化によるメリットを大々的にPRしているが、このままIT社会が発展したら便利になる反面、メーカーのノン・サービス精神によって不自由さと不愉快さを感じるようになるのではないかと今から気になっている。
便利な物が新たに開発されていくに連れ、現状使用可能な物でも捨てなければならないとは、ちょっと勿体ないような気がしている。