3975.2018年4月1日(日) エイプリル・フールにして新年度入り

 今日はエイプリル・フールにして新しい年度に入る。社会的な話題で興味を惹きそうなことがある。中でも大阪市営の地下鉄が民営化されるというのも珍しい。いずれ都営地下鉄もそうなるかも知れない。広島市では今日から原爆記念公園内では全面的に禁煙となる。今も喫煙について国や地方でのルールが決定されない中で一足先に全面禁煙に踏み切った。喫煙者には辛い決定だろうが、世の中が禁煙の方向に向かっていることや、戸外とは言え子どもが多い場所であることを考慮すれば、これも受け入れざるを得ないルールではないかと思う。

 今年度はいろいろ社会的、或いは反社会的なルールがいくつか決定されるようだ。反社会的のものでギャンブル法案という馬鹿げた法案が成立しそうだ。特区構想とか言い逃れをしながら、非倫理的な賭博を認めて金を稼ごうというのだ。しかし、現在与党内でも自民党と公明党との間で対立しているのが、いわゆる賭博場への入場料である。自民党は収益を上げるためには、入場料を安くして大勢の入場者を賭博場に呼び込みたいと言い、他方公明党はモラル上あまり積極的に賛成ではなく、極力入場料を高めにしてゲートを潜り難くする高額入場料設定を主張しているようだ。所詮どちらせよアイデイア自体次元が低い。公明党案の方が悪をまき散らす恐れが少ないだけに、まだましだろうか。いっそのことうんと高額にして大金持ちの賭博師しか手が出せないようにしてはどうだろうか。

 さて、古代インドでは、生涯を4つの時期、「学生期」「家住期」「林住期」、そして「遊行期」に分けて考えたという。先の3つの時期は大体25年間をメドにし、最後の「遊行期」は10年ぐらいを考えている。その中で50年の人生を生き抜いて来た後の25年、つまり51歳から75歳までの「林住期」が、人生のクライマックスと考えられている。

 実は会社同期入社の仲間に、昨年に続き同期生会の案内を出す時期である。そこでハタとこの言葉を思い出した。我々同期生は皆すでに「林住期」を過ぎている。実は、この言葉は五木寛之氏著「林住期」から拾ったものだが、これを読んだのが今から10年前だった。「林住期」の絶頂期にいたころである。だが、今では古代インドなら「遊行期」にいる。

 五木氏の主張は、要は仕事を止めてから「毎日が日曜日」ではなく、これから残りの人生を仕上げる気持ちが必要だとのご託宣である。我々は人生を仕上げる気持ちが必要だということになる。考え方としてはまったく同感である。面倒さから手を引こうというのか、自分の身の回りから連絡網をどんどん絶っていく人が意外に多い。また、恒例だった集まりからも身を引く人が目につく。こうして身の回りから知人をどんどん避けることになる。そうなれば、当然付き合いの度合いは狭くなり、世の中から遠ざかる一方になる。だが、生きて行く以上唯我独尊というわけには行くまい。その点がどうしても気にかかる。それでも年賀状は送る枚数より、受け取る枚数の方が少なくなっている。面倒で連絡もしないまま、自分から繋がりを絶ってしまう人が多い。人生の仕上げが出来ないと思うのだが・・・。

 

2018年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com