昨年8月ビルマ国内ラカイン州に住んでいたイスラム系ロヒンギャの人々がバングラディッシュ領内へ逃れて以来、難民問題として国際社会でも大きな問題となっている。ラカイン州に暮らすロヒンギャは約百万人とも言われているが、その内約70万人が居住地を離れて難民となった。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を主に、国際社会が救済の手を差し伸べてビルマ、バングラディッシュ両国政府の間で難民帰還について何とか話がまとまり、先月から帰還を開始する予定だった。ところが、頓挫して話は進まない。バングラディッシュ側の難民キャンプでは、間もなくやって来るサイクロンを前に戦々恐々の様子である。
この問題の解決に際しては、元凶であるイギリス政府が物心両面で動かないと根本的な事態解決は難しいと思う。そもそも戦前のイギリス植民地時代にイギリスが彼らを旧インド領からひとまとめに同じ英領だったビルマのラカイン州に移動、定着させたことに問題の発端がある。最大の責任を負うべきはイギリス政府である。そのイギリスがだんまりを決め込んで本件に関しては一切発言しない。これだけの異常事態を自らの無定見により引き起こしておきながら、責任を取ろうとしないばかりか知らん顔を決め込んでいる。あまりにも無慈悲ではないか。不思議なのは、この理不尽さについてどの国もイギリスをまったく責めないことである。例え詰問しなくても後片付けをすることぐらいははっきりとイギリスに言うべきだと思うが、どの国も何も言わない。日米はもとより、いつも好い顔をするロシアや中國も何も言わない。こんな理不尽なことがあるだろうか。国内問題として貧しいバングラディッシュとビルマ政府に解決を委ねると言っても、身に降りかかったお荷物は貧しい両国にとっては、とても納得出来る解決策が生まれるとも思えない。
1972年1月「加藤隼戦闘隊戦跡巡拝団」で加藤建夫・隼戦闘隊長が戦死されたベンガル湾に面したラカイン州のアキャブ(現シットウェイ)で、慰霊祭を執り行った時、ロヒンギャ族と見られる人たちが大勢寄り集まって来た。その時ガイドは、彼らは山中に住んでいるイスラム系人種で、ビルマに溶け込まないので、あまり接触しないようにしていると話していた。当時から異民族同士で、接点がなかったのだ。それは、イギリスによる形を変えた侵略でもある。
加えて私がもうひとつ不満に思っていることがある。それはイギリスがロヒンギャ難民を生み出した元凶だということをどのメディアも報道しないことである。こちらの方が罪が深いと思う。今日の難民はどうして生まれたのかと詮索するコメントも見られない。メディアというのは、事実を報道することは当然であるが、その因果関係も伝えなければ価値はない。ロヒンギャについては、ビルマにとってイギリス植民地時代の負の遺産である。それをイギリスがどう償うのかという点についてメディアが論じなければ最終的な解決は難しいと思う。この点については、問題が沸騰している現在きちんと伝えないといけない。現在執筆中の「海外武者修行男の言い分」」(仮題)の中で、メディアに対して不満や不信を取り上げつつあるが、このロヒンギャ難民問題に対する無責任なイギリス政府の対応と、これを報道しないメディアについても大上段に振りかぶって厳しく書くつもりだ。
国家顧問アウン・サン・スー・チーさんの対応もとかく非難の対象になっているが、亡夫と子どもが英国籍の立場上思い切った行動に出にくい点をメディアは伝えず、一方的に批判するばかりである。
大好きなビルマが、イギリスによって降りかけられた民族問題で困惑している現状が気の毒に思えてならない。