安倍首相はリトアニアを訪問しながらも、隣国ポーランドのアウシュヴィッツ収容所を見学しようとの気持ちがなく、その後ブルガリア、セルビア、ルーマニアを駆け足で巡って昨日帰国した。最後の訪問国ルーマニアでは、トゥドセ首相と会談する予定だったが、その前日夜になって突然そのトゥドセ首相が辞任した。その代わりに安倍首相は急遽ヨハニス大統領と会談することになった。緊急事態だったために当初の予定通りドゥドセ首相と会えなくなったことは止むを得ないかも知れないが、外交的に礼を欠くとしてルーマニア国内では安倍首相に対して多くの謝罪の投稿があったという。トゥドセ首相は与党内の権力闘争に敗れ身を引いたと報道されている。
かつてルーマニアを訪れた時は社会主義国家としてチャウシェス独裁体制が長らく続いていたため、こんなことは当時を知る国民にとっては夢想だにしなかったことだろう。
1989年東欧革命で崩壊した社会主義国ルーマニアへは、独裁者チャウシェスク大統領が健在だった1981年、25名の教職員団員から成る旧文部省海外教員派遣団の添乗員として訪れたことがある。当時のルーマニアは、模範的な社会主義国家としてソ連指導下にあった。チャウシェスクの子息が知事を務めていたシビウ県で教育施設や学校などを視察、見学して社会主義体制下の教育事情を学んだ。スラブ系の体質なのか、ブルガリア同様にここでもやや肥満がちの中年女性の歩く姿が市内でやたらに目についた。
旧文部省視察団では、この他にその後も安倍首相が訪れたブルガリアやセルビア(旧ユーゴスラビア)、チェコ、東独など、当時珍しかった社会主義国家をいくつか訪れた。
その視察団で英語ガイドを務めてくれたシモナさんの名前を拝借した懇親会「シモナ会」は、まとまりがよく帰ってからも1年置きに全国各地で親睦会を行っていた。30年余が経った2012年に「フィナーレin東京」と称して東京スカイツリータワーに昇り、東京駅ステーションホテルに泊まり、涙ながらに解散式を行った懐かしい思い出の視察団である。ルーマニアは忘れられない国である。
さて、このところ北朝鮮と韓国の間で政治的交渉を行っていたが、非核化の話し合いは議題にも上らず、昨日発表されたのは、来月開催される平昌冬季五輪に北朝鮮と韓国の女子アイスホッケー合同チームが出場するということである。個人種目であるスピード・スケートやスキーのような競技ならいざ知らず、いくら共同チームを作ったところで、チームワーク上からも反って戦力が劣化した合同チームになるのではないだろうか。実際カナダ人の監督は、戦力の低下を心配している。韓国国内ではアイスホッケーの南北共同チームに対する疑問が噴出しているようだ。オリンピックが政治に利用されたとの声も上がっている。韓国テレビ局は今日ピョンチャン(平昌)五輪ではなく、ピョンヤン(平壌)五輪と皮肉っている有様である。韓国大統領も首相も真に両国関係の歩み寄りを考えているというより、政治的立場だけで動いているような印象である。まもなく始まる冬季オリンピックは果たして支障なく開催されるだろうか。一抹の心配が拭えない。
ところで、今日都心の最高気温は13.7℃で3月上旬並みの暖かさだったが、何とロシア極東地域の人口百万人のサハ共和国では零下65℃を記録し、路上凍死者もいたという。明日からは東京も再び寒くなるようだ。