3901.2018年1月17日(水) 阪神・淡路大震災とアーリンドさんの想い出

 阪神・淡路大震災から今日で23年になる。関東大震災後国内では最大の地震で6千4百余名の犠牲者を出した。関東地方には揺れがなかったので、地震の恐怖というものは感じなかったが、テレビであまりにも衝撃的に報道されたその惨状を観て驚いたことを想い出す。

 阪神・淡路大震災になるとふっと想い出すのは、遥か遠方のブラジル人の友人である。テレビにくぎ付けになっていた時、突然地球の裏側ブラジルのアミーゴ、あのアーリンド・フルタードさんから電話があった。私が震災地とは離れた東京に住んでいるのを承知のうえで、地震エリアには親戚や友人はいないかと、彼らの安否を心配して電話をかけてくれたことが強く印象に残っている。それほど友人のことを心配する優しさを備えた男だった。その心配はないと応えたらすぐ電話を切ってしまったが、当時ブラジルでもこの地震は大きく報道されたようだ。そのアーリンドさんからこのところさっばり音沙汰がない。年齢的にも90歳前後だと思うので少々気がかりである。かつてブラジルに在住していたことのある高校の友人が、2年前にリオに出かけるというので、様子を探ってもらったところ会うことは出来なかったが、電話で話したと言って彼の様子を知らせてくれた。体調が悪かったようだし、毎年必ずもらっていたX’mas Card とBirthday Cardもここ数年送られてこなくなった。彼は独り者なので、彼の所在を確認しようがない。私が昨年郵送したX’mas Cardについても何の音沙汰もないので、現状では確かめようもないが、悲しいことだがひょっとすると亡くなられたのではないかと考えてもいる。

 彼との出会いもハプニングの成せる結果である。40年近くも昔、カイロのピラミッド近くで星空の下に‘SOUND & LIGHT’というイルミネーションをバックに行われたミュージック・ショーをひとり鑑賞に行った時、そこで偶然知り合った3人のオジサン・グループのひとりである。その後ブラジル人の友人と来日された時には、一緒に日光、富士五湖、箱根を観光したり、わが家にも来てもらったこともある。私が初めてブラジルへ行った1985年に彼のマンションを訪問した時、テーブルの上に私の家族とともに撮った写真を飾ってくれていて得意げに説明してくれた。近くの高級レストランでご馳走になったこともある。過ぎ去りし懐かしいメモリーである。これからも1月17日を迎える度に阪神・淡路大震災と同時に、アーリンドさんのことも想い出すのだろう。身近の友人たちの身の上も気になるが、海外にいる親しい友人との交流も段々狭くなってきた。これが人生であり浮世というものだろうか。

2018年1月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com