3879.2017年12月26日(火) 藤山一郎さんについて話を伺う。

 今日は楽しみにしていた歌手藤山一郎さんの甥御さんにお会いすることが出来た。大学ゼミの後輩佐藤博信さんから紹介されて藤山一郎(本名増永丈夫)さんのプライバシーやら慶應幼稚舎時代について甥御の増永基文さんにお話を伺うことになった。増永さんも後輩に当たる。

 2007年に書いたエッセイ「岡本太郎さん、藤山一郎さん、野口富士男さん、そして岳父」をNPO誌に寄稿したところ、その後何人かの方からこのような著名人同士の子どもの頃の親しい友人関係の話はあまり知られておらず、プライバシーは興味深いし、このまま4人の友人関係が忘れ去られていくのは惜しいので、その友人関係を知り得る立場にいる私に対して、ノン・フィクションとしてまとめてみてはどうかとアドバイスをいただいた。確かに画家岡本太郎、歌手藤山一郎、作家野口富士男、経済人川手一郎(元日本軽金属会長)は、それぞれの分野でそれなりの成功を収めたと言えると思う。そこで責任のある難しいトライアルであるが、一念発起してそんな企画にトライしてみようかという気持ちになりかかったところである。その手始めに今日藤山さんのお話を伺うことになった。

 幸い義兄(川手の長男)が大正13年3月卒の慶応幼稚舎卒業アルバムを保管していたので、先日借りてそのうちの何枚かをコピーし、増永さんに差し上げた。このアルバムにしても一私立校が関東大震災の翌年によくぞこれほど立派なアルバムを作成したものだと感心しきりである。この年の卒業生は103名でK、E、I、O組の4クラスだった。卒業式には慶應義塾塾長の告辞もあったというから大学並みである。比較的恵まれた家庭の子どもが多かったせいだろうか、修学旅行として5年生の夏に日光へ10日間の林間学校、6年生の夏に松島、青森、函館、小樽、札幌を巡る海上旅行を、そして卒業直前の3月に卒業記念旅行と称して銚子犬吠埼へ団体旅行をしている。羨ましい限りである。授業風景の写真も何枚かあるが、その一枚は英語の授業光景である。黒板に‘Mother says I am her good little boy.’とか、‘Now Santa Claus, please give me a racket.’と板書されている。大正期に小学6年生ですでに英語を学んでいたことも衝撃だったが、そのレベルの高さもかなりのものだ。ちょっと普通の小学校とはどこか違うというのが、ざっくばらんな印象だ。だが、こういう環境の中で多くの生徒たちが社会へ出てから持てる才能と個性を伸ばして行ったのだ。

 今考えているノンフィクションは、幼稚舎6年間と普通部5年間をともに「竹馬の友」として付き合い、その後も親友として交流を深め、生涯の友として固い絆を結び人生を有意義に過ごしたことから、世に知られた仕事面だけでなくプライバシーを取り入れた、あまり世間には見られない4人の交友関係を紹介したいと思っている。

 今日初めて増永さんにお会いして率直に話し合うことが出来、これからもお付き合いを続けていくことが出来ると確信したので、大変有難く思っている。

 ただ、来年上梓しようと取り掛かっている書があるので、これを仕上げてから、或いは並行的に書こうとも考えている。しかし、いずれにせよ上梓は再来年以降になると考えている。その点は増永さんや佐藤さんにも申し訳ないと思いつつ、深刻にならず予定通り作業は進めて行きたい。

 作品については、読者に意外なストーリーだと面白く思ってもらい、興味を抱いてもらえるようじっくり構想を練りたい。まだまだ痴呆症なんかに関わっている時間はない。

2017年12月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com