3870.2017年12月17日(日) ベトナム戦争脱走兵に関する好企画

 40年前の1967年10月末、横須賀港に停泊中だった米空母「イントレピッド」から乗組員4人が脱走し、中立国スウェーデンに亡命した。その後東京都内で4人の脱走兵が日本人に対して支援した日高六郎氏、鶴見俊介氏、小田実氏、開高健氏らとともに脱走に至った経緯を発表しビデオを公表して世間をあっと驚かせた。全米に厭戦気分が横溢し、ベトナム戦争反対運動も盛んになっていた時期である。そのビデオを撮ったのが、小中陽太郎さんだった。ベトナム反戦運動が盛んになっている時に生まれたのが、ベ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)だったが、小中さんはその中心人物のひとりでもあった。

 その小中さんの「小中陽太郎、ベ平連を語る」というトーク・ショーが御茶ノ水で催された。聞き手はペンクラブの知人・柏木隆雄氏だった。当時のビデオや写真を交えて小中さんが、当時の懐かしい内幕を洗いざらい話された。その年の1月にサイゴン入りして厳しい戦争状態というものを実感した私には、とても他人事とは思えず、この事件は大きなショックだった。小中さんは国内潜伏中の4人を一時自宅に住まわせたたほど彼らの支援活動に力を尽くされた。その勇気ある行動とその時代の社会現象も含めて話された小中さんの魅力的なストーリーは興味深かった。

 寡聞にして知らなかったが、昨年ニューヨーク・タイムス紙に4人の脱走兵のひとり、クレイグ・アンダーソン氏のインタビュー記事が掲載されたと聞き驚いた。その後アンダーソン氏は来日され、講演された。以前小中さんから4人のその後の消息はまったく分からないし、無事逃げ切ればそれはそれで好いと言っておられた。小中さんもアンダーソン氏がアメリカに在住されていることに驚かれたようだ。トーク・ショーの休憩時間に去る9月そのアンダーソン氏にアメリカで会った若い毎日放送の津村健夫記者といろいろ話をした。アンダーソン氏は、脱走兵として軍から厳しい処分を受けたので、年金も生活も厳しいようで、そのため生活費のあまりかからない国境を超えたメキシコ側で生活しているようだ。

 ベトナム戦争は私にとってもエポックメーキングな出来事だったが、そこには勇ましい戦闘場面とは別に、隠れた喜怒哀楽の側面があることを今更ながら思い知らされた。

 今日のイベントは、その点で青春の厳しかった1頁をいろいろな意味で想い出させてくれた有意義な企画だった。小中陽太郎さんには、よくぞお話しいただいたという気持ちしかない。

2017年12月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com