3860.2017年12月7日(木) 気骨あるジャーナリスト原寿雄氏他界

 元共同通信社副社長で編集主幹の原寿雄氏が先月30日に亡くなられたと今朝の朝日新聞で知った。2段抜きでかなり大きく取り扱っていた。ジャーナリストの間でもよく知られた方で、2008年12月岩波文化セミナーが開催された際、駒澤大学講師を務めておられた同じ共同通信出身の片山正彦氏から紹介されて全4回講座に出席し、いろいろ示唆を与えてもらった。

 原氏は冴えた目で現実を直視し、信念の固いジャーナリストで、ジャーナリストとしては理想的な新聞記者だったと思う。行動派で菅生事件の際現場に張り込んで、犯人は共産党員であるとの警察のでっち上げを暴いた本物の記者だった。

 セミナーの受講者はほとんどが新聞記者だった。そのセミナーで原氏へ質問したのは、その年の1月韓国のソウル郊外の利川市で倉庫が大爆発を起こし、40数名が亡くなった惨事についてだった。事故の晩遅くTVニュースで現場のすさまじい様子を知り、翌日の朝刊にどのように書かれるか待っていたところ、それっきりテレビでも新聞でもまったく事故について報道されなくなったのだ。因みに地元の朝鮮日報には記事が掲載されていた。私は2つのテレビでそのニュースを観た。それにも拘わらずその日以降国内では隣国の大火災はまったく報道されることがなかった。

 偶々セミナー前月の同年11月に韓国で開かれた「国際老人福利交流文化祭」で高齢者の福祉に関するシンポジウムにパネリストとして日本からただひとり招かれ、ソウルから通訳の桂さんとともにバスで会場の東海岸・束草市へ向かった。その途中利川市近くを通った時、桂さんに事件について尋ねたところ韓国では大騒ぎだったと話していた。これほどの事件が瞬間的に報道された後、日本では報道管制が敷かれたかの如く頬被りされてしまったのである。

 この不可思議な経緯については、NPO誌「知研フォーラム」(2009年11月1日号)に「なぜマス・メディアは真実を伝えようとしないのか?」と題して寄稿した。これについてセミナーで原氏にジャーナリストとしてどう思うかと質問した。ところが、生憎原氏はこの事件をご存じなかったし、他の受講者も誰ひとりとして知らないようだった。この事故は日本では密かに隠蔽され、メディアはもちろん、一般にも事件に蓋を被せてニュースを伝えなかった。完全に報道抑圧、メディアによる隠ぺい工作である。そこには、政治的な思惑が見え隠れしていた。犠牲者の中に中国人労働者が含まれていたことから、事件直後から当時の胡錦濤主席や温家宝首相の名前が再三登場していた。日本政府にも何らかのプレッシャーがあったのではないだろうか。

 原氏がこの大惨事をご存じなかったことから、私が期待するような回答をいただけなかったことは残念だったと思っている。

 しかし、原氏が講義で話されたことの中で2点、今も印象に残っていることがある。それは日本は戦争責任をきちんとつけていないということと、ジャーナリズムは戦争を抑えることが出来るかということだった。

 その後翌年4月に六本木の国際文化会館で開かれた、原氏の岩波新書「ジャーナリズムの可能性」出版記念会に出席した時、原氏にご挨拶した。その後原氏にお会いすることはなかった。享年92歳だった。骨のあるジャーナリストである原氏の死によって、その生きざまと哲学は果たして後輩たちにそのまま引き継がれるだろうか。

2017年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com