今日は今旅行中で最も楽しみでもあり、期待もしていたアウシュビッツ収容所の見学である。その前にいつもよりやや早めにホテルを出て世界遺産・ヴィエリチカ岩塩坑を訪れた。エレベーターと階段を利用して地下135mまで下った。かつてこれより規模こそ小さいがザルツブルグの岩塩坑、ドイツの世界遺産鉱山を訪れたことがある。それに引き換え、このヴィエリチカは桁外れにスケールの大きい岩塩遺産である。中には塩で固められた立派な教会、地底湖、コペルニクスとゲーテ像などもあり、歴史的な事実を丁寧に伝えている。地震のない土地柄だろうが、よくぞ長年に亘って維持管理されてきたものだと思う。
その後1時間半ほどかけてアウシュビッツ収容所跡を訪れた。ここは珍しく負の世界遺産として登録されている。残念ながら案内は日本人ただ1人の公認ガイド中谷剛氏ではなかったが、とても感じの良い日本語が達者な女性ガイド・マグダさんが案内してくれた。気障な言い方をすれば、夢にまで見ていたアウシュビッツは世界中から多くの観光客が訪れ、今日も駐車場には観光バスが溢れ、入場するにも大分待たされた。
しかし、多数のユダヤ人をガス室で虐殺した暗いイメージが強く、どうしてもその存在を肯定的に捉えられない。一般にアウシュビッツ収容所と呼ばれる施設は、第1収容所と呼ばれている。そして、近くのビルケナウ収容所を第2収容所と呼んでいる。前者には、ユダヤ人収容者が最大で16,000人、後者には最大90,000人が収容されていたという。身に詰まらされるような話を伺った。前者には、主に宿泊、拷問、処刑、死体焼却などの施設があり、後者では馬小屋、集合トイレなどを見せてもらった。
出発前からここへの訪問を勇んで見学に来たわけだが、入場を待っている間に何か肩身の狭い思いを感じたのも事実である。日独防共協定のせいで、ドイツが犯した犯罪まで日本人としてその罪を背負わされているような気に一瞬なったからである。もちろんこれはナチ・ドイツが犯した犯罪であり、ヒトラーを主とするドイツ軍人が強く非難されるべきである。実際この収容所の所長はアドルフ・ヘスだった。だが、その点でユダヤ人はドイツ人に対して相当罪悪感と謝罪の気持ちを抱いているのではないかと同情の気持ちも湧いてきた。
同時にガイドの説明を聞いていても、ポーランドがいかに周辺諸国からの干渉や蹂躙、侵略に苦しみ、一時は国が歴史上抹殺され、復活した国家も国土を外国の都合で翻弄され、独立国としての体裁は中々思うようにならなかった。中でもロシア、ドイツ、オーストリアの侵略には手を焼かされてきた。ポーランド人のドイツに対する隠れた憎しみは、消えることがないのではないだろうか。
今日の2つの収容所を訪れてみて感じたことがある。自分にとってこれまでシベリア、サハリン、旧満州、フィリピン・ビルマ・ボルネオなどの東南アジア、ミクロネシア・パラオなどの中部太平洋、南太平洋、オーストラリア、ブーゲンビル・ガダルカナル・ラバウルなどのニューギニア海域、パレスチナ、ノルマンジーなど第2次世界大戦やベトナム戦争、中東戦争に関係する数多くの戦跡地などを訪れて来たが、戦跡訪問はこのアウシュビッツ収容所を以って気持ちのうえで一応の区切りにしたいと考えている。決して満足感があるわけではないが、これ以上は訪れる戦跡はそうあるわけではないし、年齢的にも難しいと思っている。思い返せば、1972年に意識して戦跡を訪れてから半世紀近くが経過した。ふっと心の中に想い出すことはあるだろうが、一応これで実際に戦跡を訪れることは止めようと思っている。その意味でも今日快晴の下にアウシュビッツを訪れることが出来たことは、幸運だったと思っている。
NPO知的生産の技術研究会・八木哲郎会長からも依頼されているので、帰国次第早速アウシュビッツ訪問記を「知研フォーラム」に寄稿しようと考えている。