2日間宿泊したのは、あまり気が利かないホテルだった。他にも不満を述べていた同行者がいた。いつもより早く8時にそのカウナスのホテルを出発した。今日は首都ワルシャワまで長丁場だった。ひたすらポーランドへ向けてバスを走らせたが、どういうわけだが随分あちこちで道路工事をしていたので、度々渋滞に遭遇した。リトアニアとポーランドの国境は意識していたが、まったくそれらしさはなく、過去の遺物である検問所が空き家になっている傍を通過しただけである。その点では、ヨーロッパはひとつという、欧州連合(EU)の精神が良い意味で表れている。残念なのは、ポーランドでは未だにユーロが通貨とはなっておらず、従来のズウオッチのままであることだ。時計は1時間遅らせたが、それでも1時近くなって漸く予定のレストランに着いた。その後ワルシャワへ向かい、旧市内を歩いて観光したが、今回ワルシャワで最も期待していたのは、聖十字架教会だった。ここには教会内部の柱の下に音楽家フレデリック・ショパンの心臓が収められているからだ。ショパンは30歳の時パリへ行って、以降母国へ帰っていない。親しかった友人が帝政ロシアに身柄検束され、ショパンは捕まることを警戒して終生母国へ帰ることはなかった。そのショパンの郷愁の心情を察した姉が、遺体はパリに埋葬されたが、一部の心臓をこの教会に埋葬するよう差配したものだった。
かつてスペインのマジョルカ島で♪雨だれ♪作曲のため使用した教会のピアノの鍵盤をこっそり叩いたことを想い出した。
ショパンと言えば思い出すことがある。今から30年も昔のことだが、売れっ子だった作曲家の高木東六氏を車でご自宅へ迎えに行き、藤沢市内のコンサート会場へお送りし、その後江の島の料亭からご自宅へ再びお送りしたことがあった。その道中で高木先生からショパンの所縁の地を何とか一度訪れてみたいので、その節はよろしく案内をと頼まれた。その当時私自身生憎業務が多忙で、失礼ながら即答出来ず、いずれぜひともご案内したいと大先生に対して空手形を発行してしまった。それから数年後に高木先生は亡くなられた。その思い出が蘇り、高木先生に対して約束を果たせなかったことを申し訳なく思う、と同時に心が悔やまれる。高木先生には、妹の結婚式で♪水色のワルツ♪を弾いていただき、出席者に喜んでいただいたことを想い出す。今日遅きに失したが、先生の身代わりとして、確かにショパンの心臓に近づくことが出来た。
昨日気になっていた大相撲秋場所の結果は、同行者の間で2番目に若いと推察される母子連れの娘さんに調べてもらったところ、何とトップを走っていた大関豪栄道を破った横綱日馬富士が11勝4敗の成績で逆転優勝を飾ったという。辛うじて横綱の面目を保ったとは言え、11勝で優勝なぞ私の知る限り空前絶後である。全般的に随分低レベルの場所だったのではないだろうか。帰ってからじっくり総評を見てみたい。