昨日一応の決着がついたパリのテロ事件だが、アフリカ系の犯人と行動をともにしていた女性が逃走し、その足取りが今もって分かっていない。更にその後世界各地でテロを称賛するイスラム系の声が表面化したり、ドイツのハンブルグでは、事件の発端となった諷刺画を転載した新聞社に手投げ弾が放り投げられたりしている。このテロについては内外からいろいろな意見が出されている。私自身その中の一つの意見に与するものではあるが、それでもどうにも根本的な解決法というものが中々見つからない。
そこで私なりにひとつの考え方を提言したい。世界中を震撼させているのは各地のアルカィーダなどイスラム過激派であるが、偶像崇拝を認めず、唯一神アラーを信じ、6信5行を実践しているのはまぎれもなくイスラム教徒一派である。これをイスラム教本部(というものがあるのかどうか)が、自分たちの教義とも目的ともかけ離れたものであると言うだけではなく、世界の人々を恐怖に陥れ生命を奪うのは、自分らの目指すところではなく不埒な残虐行為を行うのは許せないとして、彼らの自浄作用を期待し、過激派を除名、追放することが効果的なのではないかと考えている。
世界の大宗教の中で、自分たちの論理だけを一方的に主張し、無分別に殺人事件を犯して世界中の人々を恐れさせているのは、イスラム教以外にないのではない。それほど今ではイスラム教は世界に害を降りまいていると言っても過言ではないと思う。
イスラム教のトップに対して、どうして世界のリーダーが過激な行動を慎むようアドバイスできないのだろうか。このことがイスラム教に対して世間が疑惑と不信感で凝り固まっているのである。一日も早くリーダーは、イスラム教の支配者に対してイスラム過激派が野蛮な行動を止めるよう説得するべきではないか。
さて、今日日経朝刊に2つのトピックスが掲載されているのが目を引いた。
ひとつは文化欄に載っていた直木賞作家・西木正明さんの「ドミノ理論」というエッセイである。西木さんとは昨年亡くなった竹内謙・元鎌倉市長と、お互いに友人だったことからペンクラブ例会でしばしば立ち話をするようになった。「ドミノ理論」とはベトナム戦争中に転用されたドミノ論の勃興に関わるものだが、スパイを想像させながらラオスについて書かれている点が興味深かった。名前を秘しているが、ラオスで行方不明になった元日本軍人とは、辻政信氏のことである。他にもラオスには酋長の娘と結婚し、地域の実力者としてラオス軍に協力していた陸軍航空元第52飛行場大隊に所属していた岩村さんが、その後ラオスでパテト・ラオ軍が政権を握るようになって、元政府側だった岩村さんについての噂は以降一切聞かれなくなった。岩村さんについても、西木さんは知っておられるのではないかと思っている。今度お会いしたら、その辺りのことを伺ってみたいと思っている。
もうひとつのトピックは、「東北の名峰・飯豊連峰」である。1961年6月に大学アルペンクラブの仲間5人でテントをかついで1週間ほどの山行をした。当時は、飯豊連峰へは朝日連峰と並んで、厳しい登山を目指す大学山岳部やワンダーフォーゲル部が訓練登山をしたものである。それが最近の風潮であろうか、厳しい鍛錬を求められる飯豊山への登山者の数が激減しているという。奥深い山という感じで、雪渓も多く深山という感じの懐深い山だったが、ずっと歩き続けて、地元のトラックに乗せてもらいながら、磐越西線山都駅から新潟県新発田駅へ辿り着いたことが懐かしく想い出される。それにしてもわき目も振らず、ひたすら頂上目指してタフな登山を試みたのは、この飯豊連峰が最初である。懐かしいなぁ。