6421.2024年12月11日(水) ノーベル平和賞授与式の好ましい印象

 日本時間昨晩首都オスロ市庁舎内でノルウエィ国王夫妻らが出席の下ノーベル平和賞授与式が行われた。そもそも12月10日に授与式が行われるのは、賞の創設者アルフレッド・ノーベルの命日にあたるためである。日本被団協・田中熙巳代表委員ら3人が登壇し、ノーベル委員会委員長のフリードネス氏から3人にメダルと賞状が贈られた。賞金は約1億6千万円だという。2010年にノーベル化学賞を授与された高校の先輩、根岸英一博士がいただいたメダルは手に持たせていただいたことがあるが、いかにもずっしりと重く威厳を感じたものである。昨日の平和賞のメダルは直径6.6cm、厚さ5㎎、重さ196㎎だという。

 田中代表のスピーチはかなり説得力のあるものだった。スピーチを聞いた人の間でも、かなり高い評価を受けていた。何といっても田中代表自身原爆被害者であり、長崎市内で原爆に被爆した際目にした生々しい実体験は、聞いた人にはかなり胸に迫るものがあったようだ。それは、授賞式会場外のパブリックビューイングを観ていた人々にも大分アピールしたようだった。ロシアが核を使用しそうだと非難したことについては、ロシア国内では、大学生が核兵器は国際舞台におけるロシアの権威を示すものだとして、世界の声を受け入れず、ロシア人としての言い分を述べるだけだった。これでは日本被団協の長年の努力とノーベル賞自体を軽視し、核戦争へ進ませるだけである。こういった一部の声をどうやって反省させ、核の恐ろしさを知らしめることが出来るかが、これから国際的に考えなければいけないことである

 ノルウェイの国会議員は、田中代表の語った原爆被災の生の報告に対して素晴らし感動したべた褒めだったが、被爆者が心身ともに苦しんだことや、国の補償を受けていないことを初めて知ったと驚いていた。終戦直前の当時ならいざ知らず、今以て知らなかったとの言葉には、少々ショックを受けたが、案外世界の核認識はこの程度でまだ初歩ではないかと思っている。

 それでも良識ある人々からはスッキリと受け入れられたとスピーチの内容を評価していた。フリードネス委員長は、平和賞を日本被団協に授与するという決定は、核兵器は受け入れられず、2度と使用すべきでないという「核のタブー」と呼ぶ国際規範を形づくるうえで、彼ら被爆者の証言が重要だと見ているからだと語ったが、事実田中代表のスピーチは、充分その期待に応えていたと思う。核絶滅は難しいテーマだが、少しは世界の考えは変わってくれれば幸いである。このノーベル賞受賞をきっかけに遅としていようとも核廃絶へ一歩一歩進むことを願って止まない。

 また、国内外に戦争や嫌な事件が頻発しているが、その中でこのノーベル平和賞は明るくすっきりした印象を与えてくれた。流石に平和賞だけのことはある。

2024年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6420.2024年12月10日(火) 日本被団協、ノーベル平和賞を授与される。

 今日はノーベル平和賞授賞式が、ノルウェイの首都オスロ市内で行われ。かつて佐藤栄作首相が平和賞を受賞した時は、そのニュースを聞いてとても信じられなかった。国民の間にも意外感とまさかとの驚きがあった。何故だろうか? どうして積極的に平和活動に貢献しているようには思えなかった、佐藤首相に権威あるノーベル平和賞が授与されるのだろうかと多くの疑問があった。それに引き換え、今回日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授賞が決定した時は、日本中が感動し、その受賞に喜びを感じたものである。今回の授賞式には、今日代表として登壇する3人以外に、高校生を含め多くの人びとが同行している。それは受賞の対象になった核廃絶運動を長い間に亘って続けて来たその努力してきたその背後に大勢の人たちの支えがあったからである。そして賞を代表として受け取る3人が、投下後すでに79年も経過して、後期高齢者になり、健康上の心配あったからでもある。そのため渡航費と現地滞在費などを含めて約1千万円というかなりの費用が掛かり、とても不足だということから、早速有志らの発想でクラウドファンディング(寄付金公募)を行い、あっという間に約4千万円の支援金を集めたというから、クラウドファンディングの中でも極めて異質なくらい多額の資金が集まった。それほど今年の平和賞受賞には、多くの人びとの支援の下に誠実な核兵器廃絶、平和への祈りと願いが込められていたからだと思う

 ノーベル賞委員会のフリートネス委員長は、日本被団協の平和賞受賞について「我々にとって重要だったのは、日本被団協の素晴らしい活動を強調し、同時に核兵器が依然として問題で、人類への高まる脅威であることを世界に警告することだった」と語った。

 一方で92歳の田中煕巳代表は、出発前から「核兵器は人類と共存させてはならない」としきりに強調していたが、現地入りしてからも現地記者団に「日本被団協は、核兵器廃絶、核のタブー確立のために貢献してきたと自負していた。運動の成果が世界の人びとに広く認められたのである。ロシアがウクライナ侵攻などで核兵器が威嚇に使われているが、核が軽く語られるようになったのは遺憾だ」と指摘し、核戦争誘発への警告を行った。この日本被団協の受賞を機に、核廃絶を巡る国際的な議論が進展することに期待した。

 問題は、この平和賞受賞をきっかけに核廃絶運動が期待通り世界で進展するかどうかである。それは日本政府の姿勢にもかかっている。受賞式を前に、林芳正官房長官が今日の記者会見で、「長年核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解促進に取り組んでこられた」と日本被団協を評価したうえで、政府としても「核兵器のない世界に向けた現実的で実践的な取り組みを維持、強化していく」と訴え、被爆者とも連携していく考えを示した。

 しかし、日本政府はこれまで核兵器禁止条約には参加していない。非核3原則だって怪しいものである。核保有国・アメリカの「核の傘」の下に同盟国である日本が守られているとの淡い希望の中で、アメリカに遠慮して強い核廃絶運動を行おうとしない日本政府の姿勢に疑念がある。核廃絶は、まだスタートしたばかりだと考えている。

2024年12月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6419.2024年12月9日(月) シリアと韓国の政治的混乱

 昨日電撃的に伝えられたシリアの反体制派による首都ダマスカス制圧により、アサド・シリア大統領の行方が分からず、いずこかの国へ亡命したのではないかとの噂が交錯していた。

 そして今朝ロシアの国営メディアがアサド大統領人道的な理由で亡命を認められ、家族とともにモスクワに到着したと伝えた。常にシリアの背後には、ロシアが控えていたが、実際に自身が失脚するとなると寂しい晩年を過ごすが、そのロシアになったというのも運命であろう。ただ、今までのように国家権力を縦横無尽に独裁的に振るっていたアサド大統領にとっては、今ではその力もない。ロシアがこんな元大統領をどれほど支援してくれるだろうか。あんまり安楽な生活を送れることはないだろう。

 アサド大統領が国を治めるようになったのは、元大統領だった父親の世襲である。一時的にブランクはあったが、アサド家が国家を牛耳っていたのは、その父親以来、実に半世紀以上に上るというから驚くばかりである。

 今まで訪れてみたいと思いながらシリアは訪れる機会がなかったが、古代文明都市であり今思っても何とか訪れてみたかった魅力的な都市である。だが、国内で内戦や反政府派らの活動によって古代都市、特にアレッポなどはかなり荒れているようだ。

 20年以上に亘り独裁的に国家を支配していたアサド大統領が残した負の遺産は大きく、支配者が代わっても早急に爪痕を消すことは出来まい。特に、反体制派と言っても一様ではない多くの反政府集団があり、独裁政権が倒れた後の新政権がどういう布陣で臨むのか、それによってはまた新たな国内の対立と抗争を招きかねない。

 また、一方で政治混乱を引き起こしている韓国の政情も酷く混沌としている。現状は騒ぎの主である尹錫悦大統領の責任を追及して、検察は大統領を内乱罪と職権乱用の容疑で捜査している。与党「国民の力」の韓東勲代表は、尹大統領の権限行使を制約することを主張し、早期退陣を迫ると公約した。一方の野党「共に民主党」李在明代表は、憲政秩序を破壊する違憲行為として、あくまで大統領の弾劾訴追案を再び国会に上程するという。与野党間は調整がつかず、対立する一方で、当分の間政治の混乱は収まる見通しが立たない。この間国の政治が停止するわけであり、世界の流れに置いていかれることになり、いつまでもこのままにするわけには行くまい。来る14日に再び弾劾訴追案が上程されるが、これがまた不成立になるとしたら、このスピード化の時代に韓国は世界の動きから大きく後れを取ることになる。話し合いの空気が、どうして持ち上がってこないのだろうか。

 韓国よ! しっかりしないと世界から完全に取り残されるぞ!

2024年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6418.2024年12月8日(日) 戦争の足音が聞こえる太平洋戦争開戦記念日

 今日12月8日は、言わずと知れた太平洋戦争開戦記念日である。今から83年前に帝国海軍による真珠湾攻撃と陸軍によるマレー半島上陸作戦により、あの屈辱的な戦争の火蓋は切られた。当時はまだ3歳になって間もない幼児だったので、戦争とか、その怖さなどは知らなかった。しかし、その4年後の終戦時には、小学校(当時国民学校)1年生として戦争の怖さを身に染みて知るようになっていた。それは親から教えられたものではなく、実際に空襲警報により防空壕に逃げ込んだり、小学校から郊外授業で先生に連れられて同級生が揃ってお花畑へ出かける途中で、突然米空軍戦闘機編隊に襲われかかった時である。一瞬の間に上空から急接近してきた編隊に、引率の母親先生が「皆さん!伏せなさい!」と両手で大きなジェスチャーをして地面に伏せるよう大声で怒鳴った。今もはっきり覚えているが、編隊の先頭の戦闘機長の姿が目に入ったくらい近づいてきて、我々1年生集団を攻撃しかけていたが突然機首を上げ上空へ舞い上がって行った。後に続く戦闘機編隊も揃って隊長機に続いて上空へ付いて行った。そのまま編隊は空へ消えてしまった。あの時、戦隊長の目に入ったのは逃げ惑う我々幼い子どもたちの姿に、或いは自分の子どもを想い出したのかもしれない。機長の射撃する気持ちは不意に失せ急上昇したのだろう。それからしばらくして先生が、「皆さん、起きなさい」と言った時、戦闘機の攻撃から免れることが出来たのだと分かった。その後成人してからもベトナム戦争や、中東戦争の現場でひやりとする体験を何度か重ねたが、いずれも戦争の恐怖というものを身体全体で感じたものである。

 ともかく戦争の恐ろしさを教えてくれた太平洋戦争であるが、私にとってはその後政府の太平洋戦争戦没者の遺骨収集事業を20年以上に亘りお手伝いすることになって、ご遺族の方々や戦友会の方々にも随分話を聞かされたことも、ひとつの縁であろう。日本はあの戦争で今日まで世界で唯一原爆を投下され、戦争の残虐さを知らされることによって新憲法で戦争を放棄することを誓った。しかし、戦争を知らない、というより戦争の怖さを知らない政治家を含めた世代が増えるに従って、戦争への恐怖心がなくなったようだ。政府も何とかして憲法を改正して条文上に戦争へ関与することを明記しようとし、軍事費も年々増大して、国民には黙って軍事国家へ脱皮しつつある。実に恐ろしいことである。これからZ世代が増えてくるにつれ、戦争の垣根が低くなり、いずれ性懲りもなく戦争へ踏み出すようになるのではないかと空恐ろしい気持ちに捉われることになる。

 12月8日と言えば、お釈迦様が悟りを開いた日、成道とも呼ばれている。戦争とは極めて縁遠い人物である。お釈迦様が太平洋戦争開戦記念日を受け入れ戦争を抑え込んでくれることを願っている。

 しかし、今年の12月8日は、穏やかな日ではなかった。韓国では昨日尹大統領弾劾訴追案が不成立となったが、検察は大統領を内乱罪などで捜査するという。

 そこへ夜になってシリアの13年間続いたアサド独裁政権が崩壊し、大統領は国外へ脱出したとの外電が入って来た。シリアは中東の中でも多くのクルド人を抱えて、国内も不満分子が多かったが反政府運動などは、軍隊の力によって弾圧して、これまで不満の声は海外へ伝わってはきたが、アサド専制君主は揺るぎがなかったように思われた。それが反政府勢力によって首都ダマスカスを制圧されたことにより、情勢は一変し政権は崩壊した。これからシリアはどういう方向へ向かっていくのだろうか。

2024年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6417.2024年12月7日(土) 韓国大統領弾劾訴追案、採決成らず

 去る3日韓国国内に非常戒厳宣布を行い、すぐ撤回して国民に大きなショックを与えた尹錫悦大統領が強い非難を浴びていたが、大統領自身は姿を現さなかった。漸く今朝テレビ演説で混乱を起こしたことを謝罪した。

 そして、今日午後野党が提出した大統領弾劾訴追案が夕刻国会で採決されたが、その直前になって与党議員108人の内107人が議場から退場して可決に必要な数を確保できず、結局野党は改めて弾劾訴追案を提案することになった。今日1日韓国ではこの問題で国中が熱狂的な興奮と抗議に包まれ、国会周辺を中心に各地で「反尹大統領」、「尹大統領、辞めろ!」の声が充満していたようだ。最近の尹大統領の支持率は、選挙で当選した時もそれほど高くはなかったが、今では支持率僅かに16%にまで下落した。直接選挙制で国民から選ばれた大統領がここまで支持率が落ちるとは、話にならない。それには、個人的に金建希夫人に関するいくつかのスキャンダルが災いしている。いずれにせよ、尹大統領が自ら招いた試練である。近々行われる大統領弾劾訴追案に正面から向き合わざるを得ないだろう。

 さて、11月分のブログ・アクセス実績が、去る3日Googleより送られて来た。11月分で上位3位に入ったのには、①24年8月31日「天下り官僚・斎藤兵庫県知事の悪評と愚行」、②23年9月19日「意外な付き合いから知った『世間は狭い』」、③24年3月28日「日本人の識字率は意外に低い」だった。直近のニュースで①の斎藤知事の悪評にはかなり世間の関心が高かったので、やはりと納得させられた。②の意外な付き合いとは回りくどいが、京都市内の中学校同クラスの女子のご子息がN響主任チェリストとして活躍されていて、偶々大学ゼミの親しい友人がアマチュア・オーケストラでチェロを演奏していて、そのチェリスト仲間のひとりが個人的にそのN響チェリストにチェロの指導を受けていたことが判明したことに、「世間は狭い」と感じたものである。その「上野浅草フィルハーモニー管弦楽団」の年に2度の定期演奏会が明日浅草公会堂で開催される。毎回鑑賞していたが、今年は不運にも7月はコロナに感染して鑑賞ならず、明日も体調が必ずしも優れないので、欠席ということになっている。しかし、こういう縁にご関心を抱いていただいた読者には感謝している。次いで、③は24年3月28日の「日本人の識字率の実態は意外に低い」だった。

 積算トータルでは、①には先月同様22年8月16日「つまらない新聞連載小説」だった。これまでこの項目は度々上位3位以内に入っていたので、小説については、新聞小説のつまらなさと轡を並べて、10月には②に11月には③に入った13年9月30日「評価の分かれる盗作作家・山崎豊子さん」が注目されているのも分かる。

 斎藤兵庫県知事が、知事失職後再び選挙で知事に選ばれた原因もよく分からないが、どうも公職選挙法違反があったのではないかと刑事告発されたままの現状である。いずれにせよこのブログも読者の関心と注目度に背中を押されている。今後も正確に論点を突いた事実を書いて、おこがましいが読者の期待に応えたいと思っている。

2024年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6416.2024年12月6日(金) ベ平連の小中陽太郎さん、安らかに天国へ

 今日は昨日に続いて朝から素晴らしい青空である。午後1時にJR目黒駅で久しぶりにペンクラブの懐かしい友人らと待ち合わせて、小中陽太郎さんの葬儀に参列するため、日本基督教団中目黒教会礼拝堂へ向かった。1時半の開式には間に合った。小中さんはクリスチャンだったので、葬儀もキリスト教会で「小中陽太郎 葬送礼拝式」と名付けて行われ、終始牧師さんが「司式」という進行役を務めながら祈祷とお説教をされた。その間参列者は2度ばかりオルガンに合わせて讃美歌を唄った。合唱した讃美歌は、♪いつくしみ深い♪と、♪神ともにいまして♪というよく知られた讃美歌で、2つとも昔から知っている曲だ。讃美歌を唄うのもしばらくぶりだったが、教会で唄ったのはまったく初めてだった。式の終わりに、参列者は皆お棺に納められた小中さんのご遺体と対面した。お亡くなりになった日に奥様がお電話で仰っていたように安らかな表情だった。長らくご指導いただいたことに心より感謝の気持ちを伝えた。出口の近くで奥様が参列者とお話をされたが、私も長い間の介護でさぞやお疲れになり、お力を落とされたであろう奥様とご家族に対して、慰めのお言葉をお伝えするのが精いっぱいだった。これが小中さんとの最後のお別れである。

 牧師さんがお説教の中で聖書からいくつか引用していた言葉があった。改めて納得させられた言葉だった。ヨハネの手紙として次の言葉を述べられた。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」。

 ご遺体が出棺されるのをお見送りしてから教会を離れたが、久しぶりにペン仲間と再会したので、小中さんを偲んで食事をしようということから目黒駅周辺のレストランで食事と会話を楽しんだ。それでも小中さんがこの世から冥界へ旅立ったことが、まだ信じられない。寂しく、悲しいことである。しかし、現実は現実である。せめていろいろご指導いただいたことだけは、しっかり守って小中さんのご期待に応えたいと思う。小中さんには天国で安らかにお休みいただきたいと思っている。今日ばかりは、他のことを書く気持ちにはとてもなれない。さようなら 小中陽太郎先生    合掌

 今日は9月19日以来ほぼ3カ月ぶりに1万歩以上を歩いてしまった。

2024年12月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6415.2024年12月5日(木) 「非常戒厳」尹大統領の命運やいかに?

 一昨日夜お隣韓国で国家を揺るがすような政治的大混乱があった。尹錫悦大統領が突然「非常戒厳」を宣布したのである。それにより軍の戒厳司令官が一切の政治活動を禁じる布告令を出した。尹政権は2022年に発足して以来、支持率は20%前後を推移し、今年4月の総選挙で与党「国民の力」は大敗を喫した。国会は「共に民主党」を主とする野党が過半数を占めたことにより、多数の政府官僚が弾劾訴追されて行政が麻痺し、予算も政争に利用され通過しないと尹大統領は批判していた。

 しかし、非常厳戒下だったにも拘わらず、国会は昨日未明に採決に参加した190人全員が賛成して「非常戒厳」解除要求決議案を緊急可決した。これを受け、尹大統領は止むを得ず宣布から6時間後に「非常戒厳」解除を宣言した。このドタバタに対して与党「国民の力」内でも批判が出ている。韓国メディアでも、何の利点があるのか、韓国史上最も不可解な出来事だとの声が出ている。野党は、「非常戒厳」を違法、違憲であり、内乱行為として完璧な弾劾事由に当たるとして、尹大統領の辞任を要求し、辞任しなければ弾劾手続きに入るとの批判的な声が高まっている。1980年に起きた光州事件に引き続き、1987年の民主化以降44年ぶりの戒厳令発令である。

 その後今朝1時前に尹大統領の弾劾を求める議案が国会に報告され、明日にも採決が行われることになりそうである。採決で可決されるには国会議員の2/3以上の賛成が必要であり、現状では与党内から8名以上の賛成者が出れば、大統領の弾劾が決まる。

 韓国国内では尹大統領の支持率は依然として低く、この事態の動きに対して与党内でも批判が出ており、軍を総括する金龍顕・国防相は「非常戒厳に関連して任務を遂行したすべての将兵は、私の指示に従ったものであり、すべての責任は私にある」として、自身辞意を表明した。すでに最大野党「共に民主党」は、尹大統領に違法な内乱罪に当たるとして強く辞任を要求した。これから一両日の間に大きな動きがあることだろう。懸念されるのは、こうした韓国内の政治的対立と混乱が、北朝鮮に利用され周辺海域などで治安が悪化することである。

 同じような国会の激変が昨日フランスにも見られた。フランス議会は、内閣不信任案の採決を行い、574人の議員の内、331人が賛成票を投じ可決された。これによりバルニエ首相はマクロン大統領に辞表を提出し、内閣が総辞職することになった。第5共和制のド・ゴール大統領時代以前に遡り、実に62年ぶりの稀有な政治的現象である。近年フランス国内では極右勢力の「国民連合」が力を伸ばし、今や保守化の中心にいる。

 韓国もフランスも政治が綱渡りをしている。尹大統領は、どちらかと言えば親日的で、それまでの韓国首脳がやや反日的な態度だったのに対して、日本への対応は常識的で対日強硬論をぶつことはなかった。今隠れたり、現れたりしている戦前の日韓関係の恥部を、尹大統領が辞任するようなことがあれば、再び問題となり、これからの日韓関係に多くの影響が現れることだろう。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ~」を想い出していると、「東ニ病気ノ子供アレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ~」とあるが、韓国が病気の子に、フランスが病気の母に思えてくる。

2024年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6414.2024年12月4日(水) 生ぬるさが溢れている政治家の体質

 昨夕になって小中陽太郎さんのご遺族と小中さんを知る仲間から、小中さんの葬儀の詳細について連絡があり、小中さんを知ってはいるが会ったことがない友人らにメールで連絡をした。葬儀は明後日目黒区の日本基督教団中目黒教会で行われる。小中さんとは生前親しかった同志や仲間らと一緒にお参りし、最後のお別れをすることになった。

 さて、昨日今年2024年の「新語・流行語大賞」なるものが決まった。今年ほど馬鹿々々しい名称はないと言える駄作である。「ふてほど」というのだそうである。こんな新語・言葉はまったく知らなかった。まったく意味不明である。よくぞこんな意味不明の言葉を今年の「流行語」に選んだものである。

 「ふてほど」とは、TBS連続テレビの「不適切にもほどがある!」の略語のようだが、年間の流行語大賞にこんな言葉を選んだこと自体が「ふてほど」だと思う。早速国会質問で野党が石破首相にこの言葉を使って質問していた。他にもっとまともな言葉が候補に挙がっていた。例えば、大谷翔平選手の「50-50」、政治の悪を暴露した「裏金問題」、今年40年ぶりに発行された「新紙幣」などの方が余程分かり易くスッキリする。なんか暗い世相を反映するような言葉が多いようだが、もう少し明るい話題がないものだろうか。

 パッとしない話と言えば、今日国民民主党が開いた両院議員総会で代表の玉木氏について、政治倫理に反する行為として本日より向う3カ月間役職停止処分を課した。先月週刊誌で女性との不倫関係を明らかにされ、玉木代表は即座にその事実を素直に認め、謝罪した。それが潔しとでも思われたのか、その当時は停職や、解職の話は一切出なかった。得てしてこういうスキャンダルが明かになると、開き直るケースが多いが、直ぐ事実と認め謝罪したことが潔しと見られたのだろうか。その後代表は、自党の選挙公約実現のために自民党に掛け合い、「103万円の壁」の引き上げを実現させようとしている。国民民主党としては、代表の言動が功を奏したと評価したのか、スキャンダルに対する党内からの批判の声はあまり聞かれなかった。しかし、ことは唾棄すべき行為である。事実が明かされてから一呼吸置いて党内に難問がないと見込んだのか、今になって代表を形式的に処分することになった。実に政治家らの考えることらしい。

 国民民主党では、両院議員総会の決定に対して党内から異論は出ず、全会一致でスムーズに受け入れたようだ。女性議員辺りから疑問が出なかったのだろうか。玉木代表の発言は論理的で、筋が通っているが、少数野党の代表だった総選挙前は存在感が薄かった。それが総選挙で議席数を大幅に伸ばし、主張にあまりブレがなく自党の主張を貫き通したことにより、急速に存在感が高まった。しかし、好事魔多しの諺通り、足元をよく見なかったせいであろう、つまらない下卑た罠にハマってしまった。それを許す体質が、国民民主党内にはあるようだ。

 ここは国民民主党としては、役職停止を3カ月などと甘い処分ではなく、無期停止とでもすべきではなかっただろうか。

2024年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6413.2024年12月3日(火) ショック! べ平連で活動された小中陽太郎氏永眠

 急に悪くなった前歯の状態を診てもらおうと今朝歯科に伺ったところ、入れ歯との間で大分ぐらついているので、様子を見るが、抜歯することも考慮に入れておいてもらいたいとちょっとがっかりする話だった。

 ところが、午後帰宅してメールを見てみるとその中に小中陽太郎さんが今朝方お亡くなりになったという愕然とするメールを見て、大きなショックを受けた。取り急ぎ小中さんの奥様にお電話したところ今朝安らかな表情で旅立たれたと伺った。実にショックである。現在葬儀次第について打ち合わせ中であるので、決まったら娘さんからご連絡をいただくということになっている。

 実は昨晩お歳暮品をお贈りしたことに対して奥様からお礼のお電話をいただいたが、生憎入浴中だったので、今日その後のお加減をお聞きしようと思っていた矢先に、メールでご他界を知り、慌てた次第である。

 小中さんから親しくご厚誼を賜るようになったのは、四半世紀ほど以前である。ベトナム反戦運動で関わってべ平連との関係もあったが、「知的生産の技術研究会」の講演に来られて、その後の懇親会で親しくお話するようになり、幸いご自宅も近くだったことから度々お宅へお邪魔するようになった。小中さんの卓越した行動力の中でも、特に敬服しているのは、時間が経ちやや不正確かも知れないが、横須賀港に入港中のベトナム戦線へ向かう米艦艇乗組員の米海軍兵4人が基地から無断脱走した事件で、小中さんはその内のひとりをご自宅に約1年間匿い、普通の生活を送らせ、その後スウエーデンへ逃亡させたことである。ベトナム戦争中は、ニューヨーク市立大学教授として勤めておられたが、アメリカ国内で積極的にベトナム反戦運動に注力されておられた。とても私などが真似のできることではない。

 ご自宅が近かったせいもあり、度々ご自宅を訪ねてはご家族とも親しくお話させていただいたことが、今も懐かしく思い出の一端として頭の中にある。ジャーナリストとしての心得や日常生活上の決まりなどでもよくアドバイスをいただいた。また、このホームページのタイトル「知の狩人 知の旅人」も小中さんからいただいたものである。これまで拙著を上梓した際に、出版記念会を新宿のハイアット・ホテルで3度開いたが、いつもご出席下さり、冒頭にご挨拶をいただいたり、処女出版書「現代海外武者修行のすすめ」には、表紙帯に推薦文を書いていただいた。

 日本ペンクラブ入会に際しては、阿刀田高氏とともに推薦人になっていただき、7年前には私も理事の一員として、媚びない小中さんらとともに体制派と戦った。ペンクラブ会合の後には一緒に仲間たちとともによく飲み歩いたものである。妙に気持ちが通じたのは、接点として60年安保闘争で全学連書記長として反対勢力を仕切っていた東大生清水丈夫さんが、高校ラグビー部で私の1年先輩でお互いによく知っていたこともあった。

 2年前の11月にご自宅の階段で転倒され、頭部を強打して以来人事不省の状態で、奥様や娘さんの看護の元で、ついに回復に戻ることはなかった。まだまだお話したいこともいっぱいあったし、教えを乞うことも山ほどあった。ただ、年齢的にも満90歳になられてあまり悔いを残されるようなことはなかったのではないかと思う。それがせめてもの救いである。それにしても敬愛する小中様が冥界へ旅立たれたのは、悲しいことである。小中様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2024年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6412.2024年12月2日(月) やれやれ! 修正が終わりホッとした。

 取るに足らないことかも知れないが、大分悩んだうえに無駄な時間を費やしてしまった。本ブログの日付の積算番号№(本日:6412)であるが、ある時から間違えて追番で間違えたまま昨日まで引きずってきてしまった。ブログは2007年5月から6千回以上も書き続けているので、いつ間違えたのかを調べるのが一苦労だった。日時を遡って番号を訂正しようにもあまりにも時間が経過したので、過去に戻りすべて正しいの番号に修正するのは、相当な手間と時間がかかる。他人様に迷惑をかけるわけでもなく、このまま書き続けても分からないかも知れない。だが、やはり間違いをそのままにしておくことでは許されないし、性分が許さない。

 そもそも間違えたと分かったのは、今年元旦に連続で6千回近い5976回(実際には6076だった)に達したので、間もなく6千回になり7千回への意欲も添えて今年の年賀状に記した。そのまま気づかなかったが、10月ごろになって年末には番号が6千4百番台に達しそうな様子に、はて?と首を傾げた。これでは1年が4百日を超えてしまうではないか。そこで番号が間違っていることに初めて気づいた。このまま放っておくわけにもいかず、若い番号から順番に慎重に調べてみると2019年1月に桁違いの過ちを冒したことが分かった。それからその日を起点に1日1日丹念に調べて追番で修正したが、他にも2,3か所間違えていたこともあり、延々たる単純な作業に大分うんざりした。1か月近く掛かって漸く今日の正しい番号に修正し終えたところである。17年半に亘り毎日コツコツと書き続けた苦労も、こんな些細なミステークによって無駄な時間を使うことになった。それでも何とか時間をかけて正しく修正することが出来た。やれやれという感じである。

 ケアレスミスは、誰でもつい冒しがちだが、年齢を重ねる度ごとにその可能性と危険性が高まってくる。私も老境に入り、その可能性が高まって来たということであるのかも知れないし、人生の回り道であるのかも知れない。6412回と修正された今日を新たなスタートとして今後も出来る限り書き続けて行きたいと思っている。

 さて、先月17日に行われた兵庫県知事選挙は、史上最多の7人が立候補したが、県議会において全会一致で不信任案決議を受け、失職した斎藤元彦前知事が驚いたことに再選されたのである。選挙では兵庫県西宮市のPR会社代表が、「斎藤氏の陣営から広報戦略を任された」とするインターネット記事を公開し、これが公職選挙法違反の疑いがあると指摘されている。知事サイドは、公選法に違反するような認識はないと述べていたが、今日元検事の弁護士・郷原信郎氏と神戸学院大の上脇博之教授が、PR会社の代表が、戦略の立案を行ったなどとウェブサイトに投稿した記事の内容について、斎藤知事が会社に支払った報酬はインターネットによる選挙運動の対価であり、公職選挙法違反の買収にあたる疑いがあるとして斎藤知事とPR会社代表を神戸地検と兵庫県警に刑事告発した。告発者によると斎藤知事は知事選でPR会社の代表に「戦略的広報業務」を委託し、代表はSNSによる広報全般を企画・立案する「選挙運動者」だったとし、その報酬として斎藤氏の陣営が対価を支払ったと主張している。上脇教授と言えば、国会議員の裏金問題を最初に暴いて告発した人物である。今回は地元の不明瞭な知事選について、我慢ならず法に訴えたのであろう。

 ただ、この告発がどういう結果になるのか、あまり期待するわけにもいかない。というのは、去る7月に行われた東京都知事選で、小池百合子知事の学歴詐称について元側近が東京地検に告発した例がある。これは「文藝春秋」誌にも大きく報道され、学歴詐称に至った経緯も詳しく報道されたもので、小池知事の学歴詐称がついに法的に明らかにされるのではないかと幾分期待して見守っていたが、本件に関してはその後一切の報道がない。単なるジェスチャーに終わるのではないか。兵庫県知事の告発もひとつの流れとして伝えられたというだけとは思いたくない。

2024年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com