6311.2024年8月23日(金) 戦争犠牲者への補償・京都国際高甲子園初優勝

 寡聞にして知らなかったが、戦時中の1942年2月に山口県宇部市陸地近くの海上にあった長生炭鉱で事故が発生し、水没して183人の坑内労働者が亡くなったことがあった。犠牲者のうち136人は朝鮮半島から強制連行された人たちだった。その事故から今年で82年が経った。戦時中だったこともあり、事故処理などは放置され、犠牲者の遺骨は海底に眠ったままである。それでも2013年には念願だった追悼碑が建てられた。今遺族や関係者の願いは、海底に眠る犠牲者の遺骨の収集である。あまりにも時間が経ち過ぎたために、実際に遺骨がどの程度収集できるかは、分からないと思う。

 これとは別に、学童が海中で命を落とした戦時中の昭和19年8月22日に沖縄を出航して奄美列島悪石島沖合で米軍機により撃沈された学童疎開船「対馬丸」事件から、昨日で80年が経過して慰霊祭が行われた。この撃沈では学童784人を含め1,484人が犠牲となった。

 前記2つの戦禍による犠牲者への補償は未だ行われていない。政府は一貫して民間人への戦時補償は行わないとの姿勢を崩していない。しかし、炭鉱事故にせよ、対馬丸にせよ、犠牲者は国が起こした過ちや、国の政策施行の過程における結果であり、自ずから国が犠牲者に保障するのが当然である。長生炭鉱のケースでは、国が戦争を継続するための必需品である鉄の採掘に当たっていた労働者を犠牲にしたものであり、朝鮮人を合わせてすべての犠牲者に保証するのが、国の責任であると思う。発生から80年が経った対馬丸事件については、昨日田村智子・日本共産党委員長は記者会見で、「国策で無謀な戦争に突き進み、敗戦必至のもと沖縄を捨て石にしたなかで起きた事件であり、事件を掘り起こし被害状況の調査を行い、被害者への補償をどのように行うのか議論すべきだ」と補償を前提とする議論を行うべきだと述べた。

 この他にも、沖縄近海では、戦争により対馬丸を含め、沖縄県民を乗せた船舶が26隻も米軍機の攻撃や、座礁などで沈没し、県外の人びとを合わせると4,500人以上が死亡したと言われている。

 先の戦争には、まだまだ一般にはあまり知られていない残酷で苦痛を強いられた人々がいることを、国民は認識すべきだと思う。

 さて、毎夏恒例の夏の甲子園大会、全国高校野球選手権大会も今日決勝戦を迎え、初の決勝進出を果たした東東京代表・関東一高と京都代表・京都国際高校の間で行われ、タイブレークの延長戦の末、京都代表としては68年ぶりに京都国際高が初優勝を成し遂げた。その68年前の1956年大会当時、私も高校3年生だったが、優勝した平安高(現龍谷大学付属平安高)のメンバーは、私が付属の平安中に在学した時の同級生たちだった。

 また、試合後の閉会式でアレっと首を傾げたことがあった。それは、マウンド付近に並んだ選手たちが表彰式を終えた後、大会歌と君が代の吹奏が終わりそのまま閉会となったことである。これまでは、国旗と大会旗を両校選手がスコアボード下で降納し、その後優勝校に続いて準優勝校がブラスバンドに合わせてグランドを一周するのが決まりだった。両校選手、関係者や観衆もそれを楽しみにしていたと思う。だが、どういうわけか、今夏はセレモニーがカットされ簡略化されてしまったのである。折角栄誉の優勝旗を手に持っているわけだから、彼らを従来通りパレードさせて有終の美として送ってあげた方が良かったのではないかと、なぜ今大会はセレモニーの手抜きをやったのか、納得が行かない。

2024年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6310.2024年8月22日(木) 地球沸騰化に無策、郵便料金大幅値上げに異議なし?

 このところ天候が不安定で、かつ極端に変化が激しいことがどうも気がかりである。全国的に猛暑と雷雨が混じりあったような気象が続いている。近年の猛暑続きには、皆些かバテ気味である。昨夕の関東各地の天候の急変には、街行く人も大分戸惑っていた。東京都内の区によっては、道路も洪水のようになり大雨警報が発せられた。新幹線も一時的に運休したが、その30分後には回復していた。今日も同じように各地でゲリラ雷雨が暴れまくっていた。

 今日南洋上のマリアナ諸島付近で、熱帯性低気圧が台風10号に変わった。いずれ日本列島を襲うことだろう。

 この100年間に世界の平均気温は、0.76℃も上がっている。それを上回るのは、何と日本の気温でその2倍近い1.35℃も上がっている。因みに1920年の鹿児島県では、年間平均気温が17.1℃だったものが、100年後の2020年には、19.2℃と平均にして2℃も上昇している。東京都では1920年は14.2℃だったが、100年後には16.5℃となった。

 2015年のパリ協定では、世界の平均気温の上昇を1.5℃以内に収めようとした。だが、EUの研究所の発表では、それ以上、つまり工業発達以前に比べて、年平均で1.5℃以上上昇していたことが判明した。今夏の気候は、日本のみならず、世界的にも厳しいものとなりそうだ。この現象が将来的にも続くとすれば、大雨などの気象災害として農作物が育たなくなり、食料問題で厳しい環境に追いやられる。更に、干ばつから飲料水の確保、サンゴの白骨化などに見られる生態系への影響、洪水・暴風雨による海洋沿岸湿地の消失、栄養不良など数多くの問題が発生する。

 これらの気象問題、特に地球温暖化について日本としてもこのまま放置しておくわけにはいかない。そうだとすれば、戦争を知らず、憲法改正にまっしぐらの国会議員らにも、一度真剣に地球温暖化を巡る場を設営して、その防止対策について各政党の対策を提案して活発な議論をやってもらいたいものだ。それだけでもメディアの伝え方によっては、国民が広くこの問題に関心を抱くのではないかと思う。

 最近私が気にしているのは、今年10月から郵便料金が大幅に値上げされることである。最も基本となる手紙の定期料金とハガキ代が値上げされれば、今でも減りつつある手紙やハガキを書く人が、益々減り、手紙を書かなくなることになる。それは文章を書かなくなるということでもある。このことは、文章力の低下につながる。

 例えば、25g以下の定形郵便代が、現在の84円から110円に、ハガキ代が63円から84円に値上げされるそうだから、ほぼ30%の大幅な値上げをしようというのである。日本郵政㈱という独占企業の言いなりに、こんな強引な値上げが許されても良いものだろうか。文章力を低下させ、出版業界を苦しめるこんな無謀な値上げを、メディアは追求せずに、見逃しても良いものだろうか。

2024年8月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6309.2024年8月21日(水) 麻布台ヒルズ内で人間ドック検査を受ける。

 1日に受診する予定だった人間ドック検査を、コロナ感染により今日に伸ばして慶應病院予防医療センターへ出かけた。人間ドックは、今年13年目を迎えた。80歳を超えてから付き添いが必要とされ、今日も妻を伴って出かけた。昨年11月にそれまで信濃町慶應病院の背後のビル内にあった予防医療センターが麻布台ヒルズ内へ移転したので、今日初めて麻布台ヒルズへ出かけた。。

 スタッフの丁重な対応などは今までと変わらないが、待合室の雰囲気などは目新しさもあってやや落ち着かず、慣れ親しんだ昨年までの信濃町の方が少し気が休まる雰囲気だったと思う。例年通り一通りの検査をしてもらい、幸い大きな症状や、問題はなかった。敢えて言えば、口から管を流し込む食道、十二指腸、胃のやや苦痛の内視鏡検査の結果、それらは問題なかった。ただ、その傍に3年前に除去した腸のポリープ箇所に少し大きくなりそうなポリープが見つかったので、最後の総合的面談の際、それについて担当の医師と相談のうえ、秋口に信濃町の病院で手術してもらうことに決めた。

 人間ドックは、費用もやや高額であるが、事前に病根を見つけ除去することが出来るのが大きなメリットで、これまでもそれが理由で検査を受けて来た。年齢とともに人間ドック検査で毎年のように新たな病根を発見することが出来ている。面倒ではあるが、そのせいで手遅れにならずに済んでいると思っている。3年前には胃にポリープ、昨年は心臓不整脈が見つかった。今年も腸に成長しそうなポリープが見つかった。

 今日は、麻布台ヒルズという現代風にあか抜けた外部の人が多く集まるビル内を、人間ドックの帰りにでもぶらついてみようと思っていた。大手企業や多くの若者らから待望されていたビルが、本当にオープンした昨年はびっくりした。実は森ビルの創業者森泰吉郎の次男の森稔・2代目社長は、東京都心部に胃衣・食・住・文化をまとめた職住近接型の総合的街づくりを計画、建築してきた。森稔氏は2012年に急逝されたが、実は高校の4年先輩で、ノーベル化学賞を受賞した根岸英一博士と同級生だった。東京に職住のある母校同窓会を六本木ヒルズで毎年開いていた。ある時、森氏はこの近くに総合高層ビルを計画していると話されたが、その土地を見下ろすと住宅がぎっしり押し詰まっていた。その時は、とても無理だろうと友人と話し合ったが、その住宅群が転居した跡地へこの麻布台ヒルズを見事に建設したのである。今や故人となられてしまったが、その有言実行型の計画と実行力には敬服している。何とか日を改めて、近い内にゆっくり麻布台ヒルズを訪れて見たい。

 さて、このところ北関東、東北地方を中心に荒れた天候であるが、同時に猛暑も伴っている。暑いと思ったら、急に雷雨が訪れて土砂降りとなる。栃木、群馬県と埼玉県には、激しい雨が降ることが多いが、東京はこれまであまり降らなかった。ところが、昨夜一時的に集中豪雨のような激しい雨が降って、漸く東京にも雨がやってきたかとホッとしていたところ、ほんの30分程度で上がってしまった。そして、今日の天候は晴れかとの予報だった。麻布台ヒルズにいる間は、晴れ渡っていた。ヒルズのガラス窓から地面の緑を見下ろすと家族連れなどが、自由に行き交っていた。我々もタクシーで帰宅したところ、突然雨が降り出し、一時的だろうと思ったら、夜になってそれが都内いくつかの区内に大雨警報が発せられるほど、激しい雨が降って来た。

 今後の予報を見ると、マリアナ諸島周辺に熱帯低気圧が発生し、それが明後日には台風に発展し、いずれ日本列島を襲うようだ。超然とした自然現象には、現代人は手の打ちようがなく、ただ茫然とするだけだ。

2024年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6308.2024年8月20日(火) 残忍な戦争なんて考えたくもない。

 昨日未明靖国神社正面入り口の石柱と土台に、また何者かに塗料で落書きされていた。「靖国神社」の表札看板に、トイレットのような下卑た中国語が書かれていた。今年5月にも同じように落書きがされて書いた中国人の若者が逮捕されている。この行為は断じて許されるものではないが、中国人をそのような行為に仕向けさせたのは、終戦記念日に靖国神社へ参拝した複数の保守派国会議員にも責任がある。彼らが神社に参拝し、満州国侵略に始まる太平洋戦争に積極的に関わっていたA級戦犯に対して、国のために尊い生命を犠牲にされた故人に哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表したといつもながら戦犯を賛美する行動を取ったことである。このような行為は、日本人のみならず、海外、特に旧日本軍に侵略され、残虐な行為をされた人々が快く思う筈はない。メディアは靖国神社へ参拝する国会議員の行為だけを批判的に報道しているが、それがこのような破廉恥で礼を失した行為にもつながった議員らの行動についても、非難すべきは非難しなければいけないと思う。

 若干拘り過ぎかも知れないが、昨日のサイパン玉砕のブログに続いて、反戦的な立場から私の過去の経験も併せ、つい似たり寄ったりの延長戦のような文を綴ってしまう。

 戦後79年が経過して、家族を失った遺族の数は年々減り、15日に行われた「全国戦没者追悼式」に出席された遺族も、戦後生まれがほぼ半分の47.1%にまで減少してしまった。旧軍人に支給される軍人恩給の受給者の数も減少し、今年3月時点で1,093人となったが、これは前年より788人も減って急速に受給者が少なくなっている。1年で40%以上も減少したことになる。如何に旧軍人が残り少なくなっているかということが察せられる。近い将来にはいずれもゼロとなる。

 もうひとつ気がかりなのは、近年戦没者の遺骨収集があまり進まないことである。これは相手国の事情もあるので、止むを得ない面もあるが、かつては収骨数が多かったのに極端に減ったとか、ゼロになった戦跡地もある。この最大の原因には、遺族の数が減少していることと、相手国の事情が影響している。

 例えば、日本人戦没者収骨数はビスマルク・ソロモン諸島における収骨が一番多かった。次いで、旧ソ連領内である。しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって日ロ外交関係が悪化するや、ロシア政府がロシア国内における遺骨収集を承認しなくなった。

 2021年12月現在、海外における日本人戦没者概数は、約240万柱、収骨数はほぼ半数の約128万柱と言われている。未収容遺骨約112万柱のうち、最大に見積もっても収容できるのは、約59万柱で、残り23万柱は相手国の事情により収容困難と見られている。更に海没した遺骨が約30万柱あるとされ、今後収骨の可能性のある遺骨はかなり限られる。

 遺骨収集をこれまで支えてきたのは、遺族の強い要望だった。前記のようにその遺族が年々減っていることからも今後の遺骨取集は難しくなるだろう。深い悲しみの中で長年家族の戦死に耐えてきた遺族の気持ちを考えると、どうやったら戦後処理に方が付くのか分からない。その中で防衛予算を倍増してはしゃいでいる国会議員の無神経な戦争志向は、とても許せるものではない。

 今日テレビに出演した、自民党総裁選へ出馬を表明した小林鷹之・前経済安全保障担当相が、憲法改定で喫緊の課題は、緊急事態条項と自衛隊を明記することだといきなり言い出した。こういう戦争を知らない若い好戦的な国会議員が、得意になって自説を主張することが恐ろしい。日本は間違いなく戦争へ向かってひたひたと進んでいる。

2024年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6307.2024年8月19日(月) サイパン玉砕のドキュメントに驚愕と感銘

 漸くお盆休みも終わった。相変わらずの猛暑にうんざりであるが、立秋を過ぎたことでもあり、ひたすら涼しい秋の訪れを待っているところである。

 終戦から79年が経過した。今年は例年より太平洋戦争に関する報道が多かったように思っている。特にNHKテレビでは、終戦記念日を過ぎても連日のように、開戦の原因や敗戦に至る経緯をドキュメンタリー編集にして放映したので、つい関心をそそられ、いくつかの番組を考えながら鑑賞した。中でも昨夜放映された「“最後の1人を殺すまで”~サイパン戦 発掘・米軍録音記録~」は、米軍の映像を基にして編集されたもので、玉砕のサイパン島は何度も訪れて知っているだけに、最後まで目が離せなかった。

 サイパン島へは、旧厚生省による「太平洋戦争戦没者遺骨収集団」に1970年代から20余年間同行して、毎年1か月近くサイパンに滞在して団長だった厚生省課長の小間使いのようなことをしていたから、特別印象深く感じた。画像には、昔サイパンの繁華街だったガラパンの風景も観られ、特に懐かしく感じた。

 実は、小学生のころ、母が親しかった近所のおばさんのご主人がサイパン玉砕で亡くなったと聞いて、サイパンという島が頭の中にこびりついていた。

 米軍第4海兵師団25連隊が、サイパン島へ攻撃を仕掛けたのは、昭和19年6月15日だった。この最初の米軍上陸戦で、日本兵4万8千人のうち、2万5千人近くが戦死した。その他に現地人のチャモロ族5千人が亡くなった。6月27日には、南部アスリート飛行場周辺へ陸軍独立歩兵第317大隊120人の特攻的日本兵が「バンザイ攻撃」を仕掛け、指揮した佐々木巳代太大尉は、「天皇のため、お国のため、最後の総攻撃だ!生きて帰ったらダメだ!大声を上げて突っ込め!」と激を飛ばした。これには、米兵もびっくりして日本人は狂信的で、文明的なことは通用しないと驚いたようだ。日本軍高官の佐藤賢了・軍務局長は、「1人たりとも生きてはいけない。女子供も玉砕してもらいたい」と全員玉砕を命じた。7月7日、日本兵をサイパン島北部のマッピ岬へ追い詰めた米軍は、最後の総攻撃を敢行し、日本兵3千人が戦死、自決して玉砕した。さしものサイパン攻撃も終焉となった。このサイパン玉砕戦の死者の数は、日本兵4万1千人、日本人住民1万人、先住民1千人という惨劇だったが、米兵は3千人だった。最後には、米軍も「最後の1人を殺すまで戦い続ける」と言っていたが、7月9日米軍はサイパン占領を宣言した。こうして悲惨な戦闘は終結した。

 この戦闘に参加した元日本兵、及び米軍兵もあまりの惨状に言葉がなく、インタビューされて涙を流しているばかりだった。戦争の惨さを徹底的に追求し、その悲惨さをアピールしていた。

 遺骨収集では、広島、長崎へ原爆を投下したB-29 爆撃機が飛び立った飛行場のあるテニアン島から、そこで収骨された遺骨を積み、遺骨とともに上陸用舟艇でサイパンへ帰って来たこともあった。収骨事業の最後に、北マリアナ諸島から広く収骨されたお骨を荼毘に臥す焼骨式がサイパンで行われたが、立ち上る煙を見て、遺族の方々が涙を流しておられた悲しい姿が強く印象に残っている。

 終戦記念日が近づくと毎年決まって戦友やご遺族の方々とご一緒した戦跡慰霊団の記憶も蘇って来る。何度でも繰り返すが、どんなことがあっても戦争は誰にとっても悲しい事実と記録の集合体で、それ故に絶対にやってはいけない、この世の地獄である。戦争を知らない国会議員には、そういう当然のことが分かっているだろうか。

2024年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6306.2024年8月18日(日) 東南アジアにおける首相交代の背景

 去る14日岸田首相が、来月行われる自民党総裁選に出馬しないことを公表した。岸田政権の支持率は一向に上がらず、本人は精一杯任務に励んでいると思い不本意な思いであろう。だが、いくら動き回っても支持率は上がらず、辞めるのもこの辺が潮時だろうと思う。致命的だったのは、昨年自民党派閥の裏金問題が公になって、根底に派閥問題があったことである。麻生派を除き、岸田首相も派閥を解消したが、党員へ党員資格の剥奪や、離党勧告などの制裁を課していながら、自らへの責任は問わず、また旧統一教会問題の対応もうやむやのままである。それがどういう風の吹き回しか、不出馬発言の中で裏金問題の責任を取るとの発言があったが、あまりにも遅すぎる。少々ピントがずれている印象を与えた。

 いずれこの時が来るだろうと思いながらも、虚を突かれた次の総裁を狙っていた面々も内心慌てているようだ。まだ、正式に出馬宣言をする議員は分からないが、メディア報道によれば、出馬意欲のある議員は現状で11人だという。過去の総裁選では、出馬したのは5人が最多であり、残り1か月でどういう経緯を辿り、誰が次の総裁に選出されるか興味深い。

 さて、先日バングラデッシュで大きなデモが起き、多くの死傷者を出す事態となり、長年絶大の権力を行使していたシェイク・ハシナ前首相が、国外脱出してノーベル平和賞受賞者のモハマド・ユヌス氏が首席顧問として暫定政権を管理しているが、90日以内に首相選出のための総選挙を実施し、新しい首相を選任する。バングラデッシュの政治がどうなるか懸念はあるが、バングラデッシュ以上に今後の政局運営が気になるのが、タイである。

 タイでは、14日憲法裁判所がセター首相に対して即時解任を命じる判決を下した翌々日、議会で新たな首相を決める投票が行われ、最大与党「タイ貢献党」党首でありタクシン元首相の次女ペートンタン氏が選出された。新首相はまだ37歳で歴代最年少であり、如何に英才と言えども、複雑な要因が政治を混乱させている国内政治を安定させることが出来るだろうか、指導力と政治力が問われる。タクシン元首相家系では4人目の首相になる。インラック元首相の姪でもある。タイ国内には政治的な不安定要因があり、軍がかなり政治に影響力を持つだけに、いかに英才であろうとも政局運営は難しいと思われる。10年前のクーデター以降、タイでは軍に近い政権が続いていた。漸く昨年の総選挙で、幅広い階層から支持を集めた民主派政党「前進党」が予想を覆して第1党に躍進した。ところが、王室への不敬罪の改正や、軍の影響力の排除などを主張する前進党に対して保守党が反発し、前進党は連立政権の枠組みから外れ野党に転じた。こういう政治的混乱の中で、海外亡命生活を送っていたタクシン元首相が15年ぶりに帰国してタクシン派の「タイ貢献党」と行動をともにし、次女を同党党首に抜擢したのである。すべて父親の敷くレールの上を歩いてトップの座に就いたものであり、その政治的力は未知数である。なぜか再び大きな政治的転換の局面が現れるような気がしてならない。初めて出かけた海外旅行先がタイで、その時のタイの人びとの優しさに触れたことが、タイに心を惹かれるようになった理由である。どうも気になるこれからのタイ国内の政治的不安定さである。

2024年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6305.2024年8月17日(土) パリ五輪の評価と今後の在り方

 昨夜半から今朝にかけて関東南部は危険なほどの大豪雨が襲うとの予報だったので、いつも以上に警戒していたが、今朝起きてみると雨が降った形跡はまったく見られず、台風一過で晴天である。正に青天の霹靂である。これまで凡そ予報が当たっていたが、今日は完全に外れた。これで今日も朝から暑くなり、全国的には、高知県四万十市の39.6℃が最高気温、都内でのそれは35.9℃だった。暑い!暑い!

 さて、パリ・オリンピックも終わって帰国した選手団の解散式も済ませ、メダルを獲得した選手たちは、テレビ局から引っ張りだこである。日本選手が活躍したせいもあり、ほとんど夜中に行われた競技が多いにも拘わらず、テレビ観戦した人はかなり多かったようだ。テレビ番組視聴率ランキングを見ると、オリンピック関係番組が高視聴率で、高視聴率16番組の内2週続けてその半分を占めている。

 フランス文化の描出か、聊か奇異を衒った演出が多く、その手法に賛否両論があり、特別に高評価の声はあまり聞かれない。アメリカの「Business Insider」のマンシーン・ローガン記者は東京と比較して、コロナ渦の中、無観客という異常な競技場の中で、無難に役割をこなした東京を評価する反面、パリには厳しいコメントだった。パリに厳しかったのは、競技だけでなく、また、組織委員会がプレスに推薦したホテルが、あの暑さの中でエアコンが効いていなかったことまで取り上げている。選手村の食事や冷房が選手に評判が良くなかったようだ。また、メディアに配られた試供品が東京は豊富だったが、パリでは水筒だけだったとまで明かしている。

 トライアスロンの選手たちの間でも、東京では金を獲っていながら不振だったノルウェー選手や、ベルギー選手からは、セーヌ川の水質汚染に厳しい批判が出されている。セーヌ川での競技強行はギャンブルであり、アスリートに無礼だと厳しく非難している。

 また、私自身も若干気になっていたのは、「礼に始まり礼に終わる」柔道が、選手のみならず、審判員の中にも礼を欠く行動が度々見られたことである。選手同士が向き合って頭を下げる、試合開始前と試合後の礼儀があまり出来ていなかった。審判はそれを糺すことなく、試合を進めていた。恐らく外国の柔道連盟は、礼について指導していないのではないかと考えている。東京大会に続き金メダルを獲った阿部一二三選手が、畳を降りる際に正座をしながら一礼をしたことを、国際柔道連盟の「『JUDO』という言葉は品格を持った在り方を意味する」との言葉に照らして、海外のファンも日本柔道の礼の作法を評価している。日本柔道連盟もこの点を今後どうするのか。国際柔道連盟に対して注意を促すべきだと思う。

 その他に暑すぎる真夏の大会からマラソンその他を除外する話も出ている。ともかくパリ・オリンピックは終わった。近々バッハIOC会長が会長を辞任すると発表し、後任に早くも国際陸連のセバスチャン・コー会長が名乗りを上げている。とかく過激な発言が多く、ロス五輪の1500m金メダリストで中距離界のヒーローだったコー会長がIOC会長に選任されたら、新たな改革が実行されることだろうか。五輪とIOCの先行きを見守っていきたい。

2024年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6304.2024年8月16日(金) 靖国神社へ参拝し戦争へ向かう国会議員

 去る8日宮崎県日向灘を震源とする震度6弱の地震が発生し、南海トラフ地震に関係あるとして、その後「巨大地震注意」が出されていた。それが昨日漸く解除された。だが、地震から逃れたとしても今度は大型台風7号が太平洋岸を北上して関東沿岸部に停滞し、警戒を怠ることができない。今日はJR東海の新幹線も東京・名古屋間は終日運休すると通告された。今朝起きた時は雨上がりで薄日が差していたが、昼近くになってかなり風雨が激しくなった。午後は時折大雨と強風が襲い掛かって来た。今晩から明朝にかけて近年稀なほどの暴風雨が襲ってくるようだ。

 さて、昨日の終戦記念日に当たり、木原稔・防衛大臣や閣僚経験者、自民党、及び日本維新の会ら揃って戦争を知らない国会議員が、かつて軍国主義の精神的支柱だった靖国神社を参拝してまたまた問題を提起している。彼らの言い分は、国のために尊い生命を犠牲にされた故人に哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表したと決まり文句のように述べたが、彼らには戦犯が開戦に至らしめた経緯と真実、そして戦争というものがよく分かっていない。靖国神社にはA級戦犯として絞首刑死した戦争指導者14名が合祀されており、その彼らに対して国を代表する政府要人が参拝することは、靖国へ祀られている他の戦没者や遺族が快く思う筈がないではないか。また、戦犯を敬い哀悼の意を表するということは、先の戦争を肯定することにならないか。言わずもがなであるが、歴史問題の誤った態度を反映しているとして中国や韓国から厳しく非難する声が上がっている。アメリカ国務省の報道担当者ですら、後ろ向きに見えるとして日韓関係への影響に懸念を示した。

 遺族の参拝者には祀られた肉親に対する思いがあり、戦犯のせいで自分たちの大切な家族の支柱を奪われた現実は恨みこそあれ、尊崇する気持ちはまったくないと思う。以前から戦犯の遺骨だけは靖国から別の場へ移すべきだとの声があったが、戦犯の遺族から強い反対がありそのままである。

 防衛省は政教分離の考えから自衛隊員が靖国神社に参拝することを憲法違反として認めてはいない。しかし、陸上自衛隊や海上自衛隊の幹部らが集団で参拝した事実が判明した。防衛省の自衛隊員の指導、管理は、統制が充分取れていないほどのユルフンである。その問題のある靖国参拝を国家公務員である国会議員が、平和を目指す国の方向に背き、何の抵抗もなく靖国参拝を続けているのは、靖国神社が存在する意味と参拝する真意が分かっていないからである。戦争に関する事実認識にも欠けている点がある。

 敗色も濃厚になりつつあった昭和19年11月2日の朝日新聞「声」欄に「噫 神風隊」と題してひとりの動員学徒が戦争賛美の投稿をしている。

 「神風攻撃隊の功績を聞いて泣かぬ者があらうか。あゝ己が必死の旅出をなすためのもう訓練を続けた至高至純の精神、そして敵をもとめて飛び去って行った雄々しさよ。日本青少年よ、感奮して叫べ、『待って下さい、私も続いて行きます』と、日本産業戦士よ、興起して叫べ『待って下さい、私がもっと良い飛機をもっと早く造ります』と」。

 前後の見境もなく完全に戦争に吞み込まれた戦争礼賛の声である。しかし、それが日本の敗戦をもたらし、多くの戦争犠牲者を生んだのだ。何が「至高至純の精神」か。靖国神社へ参拝した国会議員らも、彼らのような戦争へひたむきな魂はないだろうが、周囲が分からなくなった戦争狂信者の慣れの果てに似ている。戦争を知らない国会議員らに戦争の本質と悲劇を悟らせる新薬はないものだろうか。

2024年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6303.2024年8月15日(木) 終戦記念日に太平洋戦争再発の懸念

 3年8か月に亘る太平洋戦争が終わって79年、今日は「終戦記念日」である。全国各地で戦没者追悼祈念式典が行われたが、東京では日本武道館において正午から政府主催の「全国戦没者追悼式」が、天皇・皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、岸田首相、衆参両院議長、最高裁長官、国会議員らに、ご遺族、日本遺族会関係者らが出席の下に執り行われた。

 終戦は国民学校(現小学校)1年生の夏休み中のことだった。父から「戦争は終わったぞ。もう防空壕に隠れることはなくなった」と言われ、2学期が始まり学校で戦争未亡人となられた担任の青木先生から「戦争は終わりました。もう怖いことはありません」と聞かされ、空襲の都度逃げ込んだ防空壕へ駆け込まなくてもよいことにホッとしたことを想い出す。しばらくすると出征兵士がぼつぼつ帰って来た。時には、駅まで出迎えに行ったことがあった。

 夏休み前に先生に連れられてクラス全員と校外へ出かけた時、突然米軍戦闘機編隊に襲われそうになったことがあり、その時青木先生が、「皆さん!伏せなさい!」と身振り手振りを交え絶叫したので、慌てて地面に腹ばいになった。先頭の戦闘隊長機が急降下した時に、われわれが子どもだと分かったのか、急に機首を上げ機体を急上昇させてそのまま編隊は上空へ飛び去って行った。この怖かった臨場感は今以て身体が覚えている。

 その後60年安保闘争、ベトナム反戦運動に参加して、実際に戦時下のベトナムを訪れ、ここでも戦争の恐ろしさを身を以て体験した。更に、翌年には第3次中東戦争の戦地を訪れ、戒厳令下のアンマン市内(ヨルダン)でヨルダン軍兵士に身柄を拘束され、市内を兵士らに囲まれ銃を突き付けられながら連行された。スエズ運河ではエジプト警察に捕捉された。アデンが急遽独立したため、ビザが無効となり入国を拒否されたが、空港で新独立国家のビザを取り直すことによって入国することができた。いま戦闘中のパレスチナでは、イスラエル人から彼らのアラブ人に対する警戒心や長年の反アラブ感情を話してもらい、誤解されがちの彼らの考えも多少知ることができた。こうして戦乱の地において臨場感から実態を知ることにより、今日に至るまで戦争の怖さと嫌悪感が体内に入り込んでいる。

 太平洋戦争における犠牲者は、310万人といわれているが、遺族やその親戚を合わせると2千万人近い人々が戦争による被害者と言えるのではないだろうか。厚生労働省主宰の「太平洋戦争戦没者遺骨収集事業」に、20余年に亘り関わることができて、毎年1か月間サイパン島に滞在して実際に焼骨式にも立ち会い、ご遺族や戦友が悲しみに暮れる姿を目の当たりにして、もう戦争だけは絶対に止めなければいけないと強く思った。

 ところが、現状はどうだろうか。戦争に懲りて、戦争をなくそうと誓って平和憲法を制定し、第9条には「~戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と誇り高い理想を掲げた。然るに、国は70年前に偽証軍隊である自衛隊を発足させ、その防衛関係費は年々増額され、安保関連3文書により5年間で総額43兆円を防衛力強化に投資するまでになった。防衛機材も拡充し、敵基地攻撃能力も備えるという。すべて憲法違反行為である。中国・台湾対立問題が崩れると、米軍沖縄基地を目標に中国機が沖縄を攻撃することははっきりしている。

 これらを考えると、終戦記念日にいくら反戦を誓っても、為政者が軍事力を整備し、そのうえ「日米協定」のアメリカから巧みに欺かれて、憲法9条がまったく無視されていることに恐怖と不安が湧いてくる。戦争が一歩一歩近づいている。今や戦後ではなく、戦前と言える空気になりつつある。この自らが固めた矛盾から抜け出せなくなった岸田首相は、昨日ついに匙を投げ、首相の椅子を放り出すことに決めた。来月の自民党総裁選には出馬しないことを公表した。

2024年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6302.2024年8月14日(水) ウクライナ軍がロシア領へ進軍、ロシアはどうする?

 お盆休みの最中であるが、日本列島は猛暑と豪雨に襲われる2極分化状態である。そのうえ気象庁が8日以来「巨大地震注意」により国民に地震も警戒するよう促して、日本中どこにいても気持ちが落ち着かない状態である。特に昨日は珍しく太平洋上を北上してきた台風5号が方向を変え、岩手県から奥羽山脈を横切り秋田県へ抜け出るというイレギュラーな進路を辿った。そのために観光名所である国の天然記念物の岩手県岩泉町の龍泉洞が、大雨の影響で洞窟内が冠水した。

 更に、次々と台風が日本へ襲来しそうである。台風5号に続いて6号が発生したが、間もなく熱帯性低気圧へ変わった。7号は明後日には、関東や東海に上陸の恐れがあり、東京が暴風域に入る確率が30~70%だという。7号の通過後には8号が虎視眈々と日本を狙い上陸しそうである。その一方で、九州から西日本にかけて広い範囲で気温が上がり危険な暑さが予想され、熱中症の注意を呼び掛けている。このところ天気予報も慌ただしい。

 さて、戦闘が長引いているロシア軍によるウクライナ侵攻が、半月ばかりの間にウクライナ軍の反転攻勢により戦況に少し変化が見えてきた。ウクライナ政府の発表によれば、ウクライナ軍は、先月末ロシアが実効支配するクリミア半島でロシア軍の「長距離宇宙追跡通信センター」を破壊した。同センターはロシア軍がミサイル誘導などに利用するロシアの衛星利用測位システム「グロナス」として重要な施設であり、アメリカのGPSに相当するものと見られている。これについてロシアは公式なコメントを述べていないが、事実とすれば、ロシアのミサイル攻撃能力や人工衛星による情報収集能力を低下させることになる。

 そして昨日ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウクライナ領に最も近いロシアのクルスク州へ越境攻撃を続け、ロシアの74集落を制圧したと公表した。ウクライナ軍がロシア領へ侵攻したのは初めてである。ロシア軍は兵力を増強して撃退作戦を展開して激しい戦闘が続いている。ロシアのプーチン大統領は、2022年2月侵攻間もなくしてウクライナ軍がロシア領へ侵攻したら、核を使用することもあり得ると述べ、ウクライナや、NATO諸国に強い警戒感をもたらした。そのためウクライナ軍はロシア軍に反攻してもウクライナ領内に限定していた。それが、いまどうしてロシア領内へ侵攻することになったのか。ロシア国民の不安を駆り立て、ロシア政府を困惑させることを狙ったのだろう。ロシア国内に長引く戦争への不安や、働き手を徴兵される家族の不満などから、プーチン大統領への不満やわだかまりが高まりロシア国内に小さな反戦トラブルが起きている。ウクライナ軍はこの機に乗じて進軍したが、この越境攻撃は、ウクライナ国民を守ることが目的で、ロシア領を奪う意図はないと述べている。

 ロシア軍は、現在兵員不足に陥っていてこのままでは、現状維持以上の戦闘を継続することが困難である。そのため年内に新たな動員令を発する可能性があるが、すでに2年前に30万人もの予備役を対象にした動員を発表しており、プーチン大統領としても敢えて国民の不満を無視してまでも動員令を発するかどうか、思案投げ首のようだ。プーチンの心中も揺れているようである。

2024年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com